「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2005・08・11

2005-08-11 06:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、昨日に続いて山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集の中の「手がかりは無数にある」と題したコラムから。

 「『昭和と私』(NHK)『大いなる昭和』(文藝春秋)以下このごろ私は昭和について話をさせられて『戦前まっ暗説』をくつがえそうと試みているが、何しろ敵はいく万である。小学校からそう教わって何十年になるのだから、なかなか納得してもらえない。
 いかにも社会主義者とそのシンパは追われて暗かっただろうと前回私は察した。その社会主義者が戦後いきふき返して一時は天下をとる勢いだった。いまだに新聞と教育は彼らの手ににぎられている。いま『戦前』をどこで見ることができるかと問われたら、私は往年の映画で、なつメロで、案内広告で見ることができると答えたい。
 映画は一級資料である。昭和五年、十年、十五年の劇映画をその目で見ると当時の住宅言語風俗が分る。その時代がそっくりそのまま写されている。戦前の男はみんな帽子をかぶっている。昭和五年の女は全員和服、ただし日本髪はもう稀になっている。耳かくし、断髪やがてパーマになる。
 昭和十五年の娘の半ばは洋装をしている。もっともそれは銀座だけ、娘だけで、人妻になると着物に返る。パーマネントはやめましょう(昭和14年)とあったら当時は皆パーマをかけていたのだなと知ることができる。お銚子お一人様三本(昭和16年)とあればそれは表むきで、馴染客はべつだろうと察しられる。」

   (山本夏彦著「世間知らずの高枕」新潮文庫 所収)
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2005・08・10

2005-08-10 06:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「テレビのその司会者は、戦前をただ暗かったと言わせたがった。一月七日陛下がなくなった当日の夜、私は山本七平氏と対談させられた。」
 
 「円タクははじめ市内(当時十五区)一円だったが五十銭に、三十銭にまでさがった。物価は戦前はさがったのである。客にはこんないい時代はないが、運転手にはいやな時代だったろう。だから満州事変は好景気になるだろうと大衆に歓迎されたのである。
 はたして好景気になったのはいいが、図に乗って日支事変に深入りしてしまった。けれども本当に食うに困ったのは昭和十九年末の空襲からである。それまでもそれからも東京では千葉に埼玉に買出しに行った。すなわち農家は十分食べて、なお売るものを持っていた。日本中の農村とそのなかなる中小の都市は食うに困っていなかったのである。
 昭和十六年十二月八日開戦の朝、七平さんは二階で寝ていた。『おいはじまったぞ。戦争が』とおこされて『えッ、どことどこが』と聞いたという。まさかと思っていたのである。ただし軍国少年は別である。教育は五年で人間を変える。ヒットラーユーゲントは五年である。紅衛兵も五年である。共に目は澄んでいたといわれる。
 ヤミだのインフレだのというが、戦争中も戦後も真のインフレはなかった。第一次大戦後のドイツのインフレは、ビールを飲んでいるうちに高くなったから、飲む前に払わなければならなかった。わが国にはこのたぐいは全くなかった。
 治安維持法、特高、憲兵などに国民はひしひしと取巻かれてさぞ暗かっただろうと司会者は言うが、女子供と堅気はそんなものとは無縁である。したがってこわくない。
 社会主義者とそのシンパは追われていたから、そりゃこわかったろう。昭和史の悉くがのちにこのシンパまたは転向してうしろめたく思っているものの手で書かれたから『戦前まっ暗史』ばかりになったのである。人は十年も十五年もまっ暗でいられるものではない。向田邦子いわく、私たち女学生は明日の命も知れない時でも、箸がころんだといっては心から笑ったのである、云々。」

   (山本夏彦著「世間知らずの高枕」新潮文庫 所収)
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2005・08・09

2005-08-09 06:05:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「一両年前から新聞はひそかに陛下だの殿下だのと書きだした。それまでは天皇は天皇、皇太子は皇太子と呼びすてにしていた。あれは国民にも呼びすてにせよと暗にすすめていたのである。
 それを改めたのは陛下のご不例がながいとみたからで万一なくなったときは何と書こう。崩御か薨去か逝去か。死んだと書けというものがあるが、さすがにそれはとりあげられなかった。もし死んだと書いたら読者の多くは去るだろう。
 それにもかかわらず崩御とは書きたくない。崩御は陛下に奉る最大級の敬語である。これまで呼びすてにしていた手前逝去ぐらいにしたいが、もし『読売』が崩御を用いて『朝日』と『毎日』が用いなかったら読者の反感を買って読者は減るかもしれない。
 一部当り何千円もかけて読者を奪いあっている新聞が、死去の字句だけで読者を失ってはたまらぬ。くやしいが崩御を用いることにしたのである。その前ぶれに陛下殿下妃殿下を用いて下地をつくっておいたのである。何という卑しい心根だろう。テレビは新聞のまねっ子だからここでは問題にしない。
 以上わが国の新聞はいまだに進歩的なのである。進歩的とは社会主義的ということで、記者は新聞労連の傘下にあり、それなら日教組や国労動労の味方だから、これらの不利は書かないのである。
 韓国はアメリカの軍事傀儡政権で社会党はこれを国家として認めてない。認めていたのは北朝鮮のほうで、その韓国がオリンピックの主催国になったので窮地に陥ったことはご存じの通りである。新聞も同じく窮地に陥るはずなのに陥らないのは、知らん顔して騒げばいいと知るからである。
 韓国の近代化は朴正煕治下で行われた。してみれば朴大統領は何者かだと私は察するが、新聞もテレビも何ひとつ言わなかったから知らない。韓国の報道は金大中とキーセン旅行にかぎったことはご存じの通りで、新聞の知らせる義務とやらはかくの如しで、新聞記事は原則として無署名だから誰が書いたか分らない。記者にも編集長にも社長にも責任がないこと、戦前と全く同じだと恐縮だが何度でも言わせてもらう。
 新聞は年始に皇居前に何千何万の大群が集まるのを知っている。ご病気と聞けばさらに集まるだろう。老人だけならいいが若者も集まるのを見れば、新聞は彼らの機嫌を損じることは書けない。かくて『崩御』の氾濫になったのである。
 その代り朝日新聞はその直系である『朝日ジャーナル』に勝手なことを書かせることにした。朝日ジャーナルでは依然として陛下はヒロヒトであり、南京虐殺は三十万人である。
 よかれあしかれジャーナリズムは時代をさきどりするものである。すでに社会主義は時代遅れである。それは敏感な記者なら知っているはずである。私はジャーナリズムを嫌悪しかつ軽蔑しながら、なおなが年そのなかで衣食してきたものである。だからせめて自分でも信じてないことは書くなと言いたい。」

   (山本夏彦著「世間知らずの高枕」新潮文庫 所収)
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2005・08・08

2005-08-08 06:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「戦後失われたものは何々かと問われて、家だろう、露地だろう、祭だろう、結局は言葉だろうと言って、いずれも一度はほかの雑誌に書いたことだと気がついて、窮して微妙なものだろうと、答えた。」

 「関東の大地震のとき、日本人は朝鮮人を殺したと、今ごろあばくものがある。何人殺したか分らないのに、なるべく人数を多く言いたがる。南京の虐殺の例は以前書いた。南京では十二万人を殺したという。この十二万人という数字は東京裁判できめられた数字で、東京裁判は勝者の裁判だから、数字は当然誇張されたものである。それを二十万人、三十万人も殺したと中国人が言うならまだしも、ほかでもない日本人が言う。
 昔の日本人なら、自分から言いださない。言いだすものがあっても、信じない。一々反証をあげて論破する。日本人なら論破したほうを信じる。むろん中国人はそれを信じない。
 どこの国の国民も、自分の国の『非』はみとめないかくそうとする自分の国の非は、みとめないのが健康なのである健康というものは、厚顔で鉄面皮なものなのであるそして世界中の国は依然として健康で、ひとりわが国だけその健康を失ったのである
 日本人は日本人の不利なことを勇んで言うこれを良心的という良心的というものほどうろんなものはないけれども日本人はこれが大好きである
 清国うつべし、露国うつべしといった時代には、我々はいわゆる良心的ではなかった。うたなければうたれるから、うったのである。それをいずれも侵略戦争だったと、うたれた国が言うのではない。日本人が言って、教科書の中に書いて、子供に教えて、それをとがめられると、今度はとがめたものを裁判に訴えて、その訴えたほうを、新聞雑誌は支持する始末である。
 自分と他人との間には区別があって、両者は互に理は常に自分にあると言う。自分に損になることなら、本当でもうそだと言う。それが健康だとは何回も言った。
 自分と他人、自国と他国の区別を失ったこと、これが戦後失った微妙なものの随一ではないかと思われる。」

   (山本夏彦著「二流の愉しみ」講談社文庫 所収)
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健康と不健康 2005・08・07

2005-08-07 05:50:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「ブッシュ大統領は訪日する直前、日本で謝罪するつもりはないかと問われて一瞬けげんな顔をして、すぐ原爆投下のことだなと察するとそのつもりは毛頭ないと答えた。
 もし投下しなかったら日本軍は徹底抗戦して、なお数十万数百万の死傷者を出しただろう。原爆はその殺傷をふせいだと答えて謝罪どころか恩にきせた。
 私は十三年前の『週刊新潮』に『頻ニ無辜ヲ殺傷シ』(新潮文庫『やぶから棒』所収)を書いた者である。路上に横死したこの世のものではない被爆者の写真を何千万枚何億万枚複写して、同日同時刻航空機に満載して米ソをはじめ世界中にばらまけと書いた者である。
 それにもかかわらず私はブッシュの言いぶんをもっともだと思う。ブッシュは健康なアメリカ人である。もしその非を認めて謝罪したらいずれ補償を求められる。サギをカラスと言いくるめるのが健康な国家であり個人である。すなわち健康というものはイヤなものなのである
 個人の例を甲子園の高校野球にあげたい。あれは戦前から今と同じく腐敗していた。選手はスカウトと称する人買いが買ってくる。いま選手は一流ホテルに逗留して、おしよせるファンの女子高生と転瞬のうちに室内で通じるのを監督は知って知らないふりをしている。新聞は純真無垢な高校野球のイメージを損ずることならすべて黙殺して記事にしない。『健康』というものの一例である。
 私は健康をほとんど憎んでいる。健全な精神は健全な肉体に宿るなんてウソである。
 ところがひとりわが国だけは私のいわゆる良心的、安ものの正義のかたまりで、平あやまりにあやまってばかりいる。謝罪しないと新聞が謝罪せよと言う

 去年九月天皇陛下がアジア各国を訪問されたときも『反省』や『謝罪』のお言葉がなかったのは残念だったと新聞はそのつど書いた。謝罪すれば弁償を求められる。新聞はこれまでの弁償のリストとそれが一人当り税率いくらに当るかを掲げ、それでもなお人は良心と正義のかたまりかを問うがよい。」

 
前々回私はブッシュ大統領は一度ならず二度まで原爆投下したのに謝罪の意志はあるかと問われて毛頭ないと答えた。よくも言ったなと朝日新聞は怒らない。謝罪すれば補償を要求されるかもしれないからしない。しないのはアメリカ人の利のためで、それなら大統領は健康なアメリカ人である。健康というものはイヤなものだと私は書いた。してみれば朝日新聞は健康でない。日本人の新聞ではない。社会主義の本家本元が瓦解してしまったのに、誰のための『第五列』なのだろう。」

  (山本夏彦著「オーイどこ行くの」-夏彦の写真コラム-新潮文庫 所収)
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2005・08・06

2005-08-06 05:55:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「八月六日は一日限りの広島の思想家が集まる日である。知るものは言わず、知らない人がしゃべる日である。そしてその他の日本国民が、冷淡なくせに熱心に平和を口にする日である。」

  (山本夏彦著「茶の間の正義」所収)


 「およそ出来たものは出来ない『昔』にかえれないのが鉄則で、そのピークに鎮座しているのが原水爆である。あんなものなかった昔にかえしたい。原爆許すまじといくら叫んでもかえれない。」

  (山本夏彦著「世間知らずの高枕」所収)


 「言って甲斐ないことは言わないものだ。」

  (山本夏彦著「毒言独語」所収)
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2005・08・05

2005-08-05 06:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、中唐の詩人柳宗元(773-819)の「夏晝偶作」と題した詩一篇。原詩、読み下し文、現代語訳ともに、中野孝次さん(1925-2004)の著書「わたしの唐詩選」(文春文庫)からの引用です。

 夏晝偶作        夏の昼偶作    柳宗元

  南州溽暑醉如酒     南州の溽暑 酔うて酒の如し
  隱几熟眠開北牖     几(き)に隠(よ)りて熟眠し 北牖(ほくゆう)を開く
  日午獨覺無餘聲     日午(にちご) 独り覚めるに 余声なし
  山童隔竹敲茶臼     山童 竹を隔てて茶臼を敲(たた)く

(現代語訳)
 南国柳州の地の蒸し暑さは、まるで酒に酔ったかのようだ。北の牖(まど)をあけ放って、肘掛けに凭れてぐっすり寝こんでしまった。そして真夏の深い昼寝から醒めると、天地の間にあるのは我ひとり、ほかに何の音もしない。静まりかえった世界の中、竹林をへだてた向うで童が臼で茶の葉をついている音だけがする。


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健康で良心的 2005・08・04

2005-08-04 06:10:00 | Weblog
   今日の「お気に入り」は、昨日に続いて山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から同じテーマで。

  「南京の虐殺は、すでに『東京裁判』でさばかれた事件である。中国側は途方もない人数が殺されたと主張し、日本側はその事実は

  なかったと争ったかと思う。結局はほぼ十二万人を殺したときまったが、むろんこれは確かでない。勝った側がおしつけた数字だから、

  実際より多いと思っていい。ところが、それから二十余年たって、今度は日本人自身が問題をむしかえして、進んで人数をふやして、

  すくなくとも三十万は殺したと言いだしたのである。勇んで人数をふやすとは前代未聞の事である。健全な国民なら、自国民に不利な

  ことは言うまいし、言ってもその国の新聞雑誌はとりあげないはずなのに、争ってとりあげるのは、これが中国に対して世辞になる

  からである。

  まだ中国が言わないうちに、その意を察して、さき回りして、たぶん気にいられるだろうと言うのなら、それは世辞である。

 迎合である。中国人にとっては、殺された人数は多いほうがいい。敵愾心を鼓舞するには、被害者は多ければ多いほどいいから、自然に

 人数は十万より二十万、二十万より三十万とふえるのである。

  世間にはこういう屈折した迎合があるのである。ただし、これだけ屈折すると、読者は迎合だと気がつかない。額面通り読んで、

 中国人にすまながる。夜も寝られぬという。

  中国と沖縄とベトナムはつながっていて、夜も寝られぬ人は、沖縄を思っても、ベトナムを思っても同じく寝られぬという。

 どうして寝られないのだろう。隣人の苦痛を苦痛とするからだという。けれども彼らは父祖の、兄弟の苦痛を苦痛としない。親は子を

 育てるが、子は親を扶養しない。老いたら老人ホームへはいるがいい。老人ホームが少ないのは国のせいで、子のせいではない。

 ホームにはいる金は、自分で用意しておけ。それがこれからの親のつとめである。用意の金は多いほどよく、余ったらそれは自分たちが

 もらう。もらう分が多ければ今度は兄弟で相続を争う。(以下略)

  この両親や兄弟の死に泣かないものが、赤の他人の死に泣いてみせ、泣かないものをとがめるのを、私はこれまで忍んできた。

 この種の本が売れるのは、買えば自動的に良心と正義のかたまりになれるからで、私はたいがいのうそはがまんするが、このうそには

 がまんできない。けれどもこの冷たいものがその自覚を欠いて、他を冷たいと難じることこそ、健康の証拠なのである。不健康という

 ものは、もっといいものである。

  ようやく健康に二種あることが分った。一つは昔ながらの健康、自分の非を認めまいとがんばる健康である。一つは勇んで認めて、

 他をとがめる健康である。とがめて日本中を全部自分と共にとがめさせようとする魂胆なのである。彼らは日本人でいながら、

 外国人に似ている。」


   (山本夏彦著「二流の愉しみ」講談社文庫 所収)





                  
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健康で良心的 2005・08・03

2005-08-03 05:50:00 | Weblog
   今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

  「わが国の軍人が、中国の人民を虐殺した記事を、写真を見ることがある。

   わが国の軍人といえば、壮年にとっては自分たちのことである。少年にとっては父祖のことである。骨肉同然のものが、

  海外で無辜の民を殺したと聞くのはいい気持のものではない。

  よしんばそれが本当でも、本当だと思いたくないのが人情である。だからこのたぐいの記事を読むものは少なかろうと

 思っていたら、存外読むものが多くて、たちまち本になってよく売れているそうである。

  いうまでもなく日支事変は侵略戦争で、ついでに日露戦争も日清戦争も侵略戦争で、それを子供たちに教えたいと、

 教科書中に書いて、文部省から削除を命じられたと、ながながと裁判で争っている編集者がある。

  どこの国でもその国の政府は、その国の体制を守ろうとする。それは当然のことで、国は守る義務がある。たとえば、

 ソ連はソ連の社会主義体制を守って、反体制の言辞を許さない。まして教科書中にそのたぐいの言葉を挿入したら、

 ただではすまないから、そもそも挿入しようという発想が生じない。わが国でそれが生じるのは、わが国が体制を守ること

 にかけて、ソ連より怠慢だからである。

  またたとえば、イギリスの教科書には、イギリス人の『非』は書いてない。むかしイギリス人が世界中に植民地を持った

 のは、南アフリカでは首長に懇望されたからであり、エジプトでは王様の苦しい財政を助けるためであり、インドでは

 インド人の幸福を願ったためだという。

  どの教科書にもそう書いてあるから、イギリスの青少年は今でもそう信じている。

  だれが自分の非を、子供たちに伝えたがるだろう。伝えないでかくすのが自然で、したがってイギリスの教科書は自然で、

 健康なのである。自然で健康なことは、しばしば片腹いたいことである。個人がそうだから、国家もそうなのである。だから

 私はこの健康というものをなが年見て、ほとんど憎んでいる。

  自分の非をあばくのは、自分ではなく他人である。南京で日本人は中国人を殺した。それは戦闘員ではなかった。ここに

 証拠がある。証人がいる。夥しい死者を返せ。弁償せよと、中国人が言うならおかしくない。日本人は抵抗すればいいので

 ある。言を左右にしてその非を認めまいとすればいいのである。それが自然で健康なのである。

  ところが、あばくのは中国人でなく日本人である。日本人が日本人の非をあばいて、非が少ないより多いのを喜ぶのである。

 世界中の国民は健康なのに、ひとり日本人だけ健康でないのだろうか。

  そんなことはない。げんに日本人の大半は、この種の記事と写真に目をそむける。見るともなしに見て、それがついこの間の

 ソンミ村の虐殺でなく、三十なん年前の南京の虐殺だと知ると、あわてて二度と読まなくなる。読まないのは健康な証拠である。

 ところが、進んで読むものがある。

  読むものは、我々はこれだけの悪事を働いた。中国人が告発する前に、せめて自分から告発したい。それが良心あるものの

 義務だと、読み終るが否や読みたがらないものを非難する。

  この種の本は、他を非難するためにある。そこには良心と正義が売られている。買い手はたちまち自分は正義の権化になった

 気で、他をとがめる資格を得る。どこから得るか考えもしないで得るのである。けれどもこんなに無反省な老若が、健康でない

 道理がない。

  私は衣食に窮したら、何を売っても許されると思うものである。女なら淫売しても許される。ただ正義と良心だけは売物に

 してはいけないと思うものである。これを売物にすることは、最も恥ずべきことだと私は教わったが、近ごろは教えぬようだ。

 これこそ教科書に明記していいことである。

  この種の本の筆者は、はるばる中国へ行って、各地を調査して、生き残りに会って、話を聞き写真をとり、たちまち何冊かの

 本を書く精力的な人物である。心身共に健康である。」


   (山本夏彦著「二流の愉しみ」講談社文庫 所収)





                 
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2005・08・02

2005-08-02 05:50:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「私は国鉄の分割民営化は画期的な大成功だとみている。議論の余地はない。私はこれに『賞』を贈りたい。いま賞と呼ばれるほどの賞は五百もあるというのに、なぜこれに贈るという発想が生じないのかけげんである。
 分割民営化は個人の手がらではないから贈らないなどは気がきかなさすぎる。だから賞はダブって誰も知らない賞ばかりになるのである。団体に送る賞はいくらでもある。民営化に貢献した全員に贈るか、それからさきは賞が自分で考えてくれ。ただし『官』が与えるのは感心しない。『民』が贈ってこそセンセーションがおこる。
 なぜ私が贈りたがるかというと、これがはげみになるからである。げんに郵政はよくなっている。手紙は今日出せば明日着く。速達にするに及ばなくなった。小包は黒字になった。局の窓口嬢は挨拶するようになった。銀行よりよくなった。実に隔世の感がある。国鉄に賞をやれば次は郵便の番である。さすればNTTだって前非を悔いて続くだろう。
 最も続かないのは日本航空でありNHKであり農協である。NHKのごときはいまの職員の三分の一で運営できる。値下げできる。農協も同じ、おお大事なことを忘れていた。悪名高いかの税務署だって追従してよくなるかもしれないのである。」

   (山本夏彦著「世間知らずの高枕」新潮文庫 所収)

 このコラムが書かれたころから、十年も経とうとしているというのに、NHKといい、農協といい、形ばかりの改革で、本当の意味での構造改革は進んでいません。
 今夏、官製談合の一郭にメスが入り、道路公団の事実上のトップである現役高官に縄付きが出ました。画期的なことで、大新聞は特々大の活字で一面トップで報じ、号外を配ってもいいところですが、いつもなら大はしゃぎでキャンペーンをはる各紙とも紋切型で、醒めた論調なのはどうした訳でしょうか。 戦後60年、国(建設省・農水省など公共工事発注者)、道路公団などの特殊法人、全国津々浦々の地方公共団体にいたるまで、国中を覆いつくしてきた談合体質を糾弾できるのは、今をおいてありませんのに。永年「談合は必要悪」と公然と開き直ってきた政財官各界人士の脇の下を冷たい汗がつたっているに違いありません。足元に火が点いた道路族議員も当分は、亀のように、手足・首をすくめている他ないのです。
 郵政についても、ここまできて小泉氏の郵政民営化法案が葬られるようなことがあれば、構造改革は頓挫し、悔いを千載に残すことになるでしょう。既得権益を守ることに汲々としている人々や、郵政族のみならず、あとに控える建設、農水など族議員達の高笑いが聞えてきそうです。
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