「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2013・12・25

2013-12-25 07:15:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

「私は父が脳溢血で斃れて死ぬまでのまる一年、父が書いて掲載された古新聞、古雑誌の全部と、毛筆で書いた日誌数十冊を読破してしまった。小学六年から中学一年にかけての半年あまりのことである。
 次いで私は父の書棚の本を片はじから読んだ。ことに鷗外の『水沫(みなわ)集』『二葉亭四迷全集』(初版)、女流では『一葉全集』を最も愛読した。一葉全集には一葉の写真が出ているが、一人でまっ正面から撮ったのは一枚しかないらしく別の本でも選集でも、いつも同じ写真が出ている。あとは萩(はぎ)の舎(や)中島歌子の門下一同が勢揃いした二列目、向って左から三人目が当人というがごとき豆粒大の写真で、虫眼鏡で見ても他と区別できない。
 美人だ、と少年の私は何度もためつすがめつして感嘆した。ただの美人ではない、内なるものが外にあふれようとして辛くもふみとどまったような美人だ。死んだ人に惚れることはままあることで、私は一葉に惚れたのである。古本を読むことは死んだ人と話すことで、少年の私は二葉亭四迷と友になったのである。今日が平成十四年五月二十五日だとすれば明治三十ニ年五月二十五日の古新聞を見れば、全く同じことが書いてある。この世の中にニュースはない、と常々言う私は実はこの世の人ではないのである。
 たしか昭和八年の晩秋だった。ふとしたことで私は一度だけではあるが、馬場孤蝶に会った。孤蝶は平田禿木(とくぼく)や島崎藤村と同じく『文學界』の同人で、一葉の晩年の友である。禿木と共に三日にあげず訪ねている。さぞ迷惑だったろうと私は察するがそうではない。一葉は萩の舎の代稽古が務まるほど古典に明るいが、西洋に暗い。『文學界』の同人は西洋にはまあ明るい。一葉は耳から新知識を得て、すぐ上野の図書館へかけつける。それに孤蝶は美青年である。孤蝶君不平々々の声を聞く嬉しき人なり、と一葉は日記に書いている。
 その孤蝶に会えたのである。往年の美男ぶりをとどめている。ただしやさ男ではない。骨太である。僕は一葉女史のあの写真が大好きです。あの通りでしたか、と聞いたら孤蝶答えて曰く、死んだ子は見目(みめ)よしと言う、一葉の顔色はあの病気特有のすすけた色でした、と写真必ずしも真を写さないということをおだやかな口調で言ったのでははあと私はすぐ合点した。
                                        (『文藝春秋』平成14年7月号)」

(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)

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