今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日の続き。
「戦争はすむもすまないもないものである。あれはもともとすまないことのかたまりで、その巨大なかたまりのなかの区々たるすまないことを争ってもはじまらないものである。
すまないことにかけては、敵もさるものである。そのてっぺんにあるのはあの原爆で、あれを落したのはアメリカ人で、そのアメリカ人は日本人にすまないとは、内心思っても決して言わないのである。
なぜ言わないかと、よしんば日本人がつめよっても、アメリカ人は屈しないから、つめよるものはない。稀にあれば、たぶんアメリカ人は以下のように答えるだろう。
もし原爆を投じなかったら、戦争は永びいただろう。アメリカ軍は日本に上陸しただろう。上陸すれば、アメリカ軍は何十万の死傷者を出したろう。日本軍はその何倍か死んだろう。さらに、一般市民はそのまた何倍か死んだろう。沖縄の死傷者から推せば、それが何百万人か分る。原爆投下は戦争の終りを早くした。それだけの死傷者を救った。
それにまた、万一、日本がアメリカに先んじて原爆を所有したら、それをアメリカ人の頭上に落しただろうと、アメリカ人は言って、日本人はそれに返す言葉がないのである。
安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから――という名高い文句がある。広島の戦災を記念した碑文である。この文句が間違っていることを、私は以前論じたことがあるが、かいつまんで言うと、過ちは繰返さぬというのは、(私どもは)という文字を省いたものである。
これでは原爆を投じたのは、私どもになってしまう。これを『過ちは繰返させませんから』と改めれば、首尾はととのうが、、改めようとすると反対するものがあって、それが有力で、改められないまま二十年を経た。
はじめこの文句を工夫したのは、アメリカ人に迎合する者だったかもしれないが、今これでいいのだというのは大ぜいで、第五列ではない。良心的な人々である。
あんなものを落したアメリカ人を、日本人が非難するのは当然である。非難されてアメリカ人が屈しないのもまた当然である。それが健康というものである。健康というものはイヤなものだが、互いに認めなければならないものである。
だから、アメリカ人をとがめないで、日本人の方が悪いような文句を書くのは不健康である。不自然である。それを良心的だと思うのは、恥知らずだと知らない恥知らずである。新聞の投書欄には、こういうニセの良心が勢揃いしている。
(『小説新潮』昭和46年11月号)」
(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)
「戦争はすむもすまないもないものである。あれはもともとすまないことのかたまりで、その巨大なかたまりのなかの区々たるすまないことを争ってもはじまらないものである。
すまないことにかけては、敵もさるものである。そのてっぺんにあるのはあの原爆で、あれを落したのはアメリカ人で、そのアメリカ人は日本人にすまないとは、内心思っても決して言わないのである。
なぜ言わないかと、よしんば日本人がつめよっても、アメリカ人は屈しないから、つめよるものはない。稀にあれば、たぶんアメリカ人は以下のように答えるだろう。
もし原爆を投じなかったら、戦争は永びいただろう。アメリカ軍は日本に上陸しただろう。上陸すれば、アメリカ軍は何十万の死傷者を出したろう。日本軍はその何倍か死んだろう。さらに、一般市民はそのまた何倍か死んだろう。沖縄の死傷者から推せば、それが何百万人か分る。原爆投下は戦争の終りを早くした。それだけの死傷者を救った。
それにまた、万一、日本がアメリカに先んじて原爆を所有したら、それをアメリカ人の頭上に落しただろうと、アメリカ人は言って、日本人はそれに返す言葉がないのである。
安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから――という名高い文句がある。広島の戦災を記念した碑文である。この文句が間違っていることを、私は以前論じたことがあるが、かいつまんで言うと、過ちは繰返さぬというのは、(私どもは)という文字を省いたものである。
これでは原爆を投じたのは、私どもになってしまう。これを『過ちは繰返させませんから』と改めれば、首尾はととのうが、、改めようとすると反対するものがあって、それが有力で、改められないまま二十年を経た。
はじめこの文句を工夫したのは、アメリカ人に迎合する者だったかもしれないが、今これでいいのだというのは大ぜいで、第五列ではない。良心的な人々である。
あんなものを落したアメリカ人を、日本人が非難するのは当然である。非難されてアメリカ人が屈しないのもまた当然である。それが健康というものである。健康というものはイヤなものだが、互いに認めなければならないものである。
だから、アメリカ人をとがめないで、日本人の方が悪いような文句を書くのは不健康である。不自然である。それを良心的だと思うのは、恥知らずだと知らない恥知らずである。新聞の投書欄には、こういうニセの良心が勢揃いしている。
(『小説新潮』昭和46年11月号)」
(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)