「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2013・12・30

2013-12-30 13:00:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日の続き。

「辞書は多く写してつくると教えると驚くものがある。自社の大きな辞書をコンサイスにするときは、まず項目を写して、ついで解釈を写して簡略にする。入社以来それを仕事として社員が辞書は写すものだと心得るのはやむを得ない。ついでに他社の辞書も写して平気になる。だから辞書の多くは短時日に成る。
 百科事典もその例外ではない。戦後しばらく百科事典は平凡社にかぎる時代があったが、やがて小学館、学研、講談社がまねするようになった。いま再び平凡社と小学館が久しぶりで新版を出していずれも好成績だという。
 私は平凡社の『世界大百科事典』全三十二巻(昭和三十年版)を持っている。持ってはいるが使ってない。はじめ使ったらその項目がないこと三つ四つたて続けだったから以後使う気を失ったのである。そのことは何度か書いたが、まとめて言わせてもらうと『木口小平』がなかった、『鑑札』がなかった、『教育勅語』がなかった。
 自転車には鑑札税がかかった。古道具屋は鑑札を受けなければ商売できなかった。これよりさき淡谷のり子は歌い手としてデビューするに当たって『遊芸稼人(かせぎにん)』の鑑札をうけたと語っている。役者も鑑札がなければ舞台に立てなかった。一等から八等まであって、勘三郎も杉村春子もその鑑札をうけているはずである。
 二枚鑑札という言葉ならまだ残っている。娼妓(しょうぎ)の鑑札を持たないで娼妓同様のことをする芸者のことを言う。この言葉も辞書には出てない。百科事典だから古今の鑑札がずらりと居並んでいるかとさがしたら、そもそも鑑札という項目がなかった。
 事典というものはいくら万全を期しても遺漏はまぬかれないから鑑札がなくても私はちっともとがめない。あとで増補すればいいことである。
 ただ木口小平や教育勅語や軍艦長門、陸奥がないのはこれとは違う。木口は同じ社の戦前版には出ていたからわざと削ったのである。同じ料簡で連合艦隊をはじめ、軍艦長門、陸奥を削ったのである。このことは阿川弘之氏が書いている。
 全八巻の『国民百科』にはそもそも連合艦隊という項目がない。戦艦長門、陸奥を知るにはアメリカ百科事典を見なければならない云々。
 私が百科事典にあいそをつかしたのは教育勅語のテキストが出ていなかったからである。教育勅語の項目はある。けれどもそこには教育勅語がいかに教育を害したかが書いてあるだけで、かんじんな教育勅語の原文は出てないのである。原文は四百字に足りない。これを掲げた上で意見を添えたければ添えるがいい。
昭和二十年八月十五日このかた以前ほめちぎったことをあしざまに言うようになった。それならこの次は何を言うか知れはしない。そのたぐいの意見をのせないのが百科事典の見識というものだ

                                 (『読売新聞』昭和60年3月6日夕刊)」

(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする