「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2013・12・11

2013-12-11 09:50:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日の続き。

「いっぽう社会主義の全盛期で、図書館に行って社会主義の本を堆(うずたか)く重ね、あけて見たがすぐ閉じた。いずれも日本語ではなかったから読めないし、また読むに値いしないと閉じたのである。読まなくても分るのである。私に要約させれば、私有財産は盗みである、奪って大衆に公平に分配するのは正義である。資本主義には正義はない。つまりは『欲』であると私は察した。貧しい大衆を扇動して革命をおこし、成功したら今度は自分が独裁者になる番で、それにはライバルである同志を殺さなければならぬ、スターリンはプレハノフ、ラデック、ブハーリン、ことにトロツキーを草の根分けても殺さなければならない、めでたく覇者になったら王侯貴族のしたことをする。百年もするとまた革命が起る(それで人類は健康を保ってきた、健康というものはイヤなものだ)、これだけのことを岩波の翻訳用語で何十冊何百冊も書いてある。
 私は故あって明治三十年代の古新聞古雑誌を読んで育ったから、何だこんなもの日本語じゃないと捨てて二度と手にしなかった。私が社会主義にかぶれなかったのは、ひとえに古新聞のおかげである。明治末年までの記者は幼少年期に漢学塾で育っている。文脈に混乱はない。岩波用語で育ったものは、要らぬ品詞まで訳す癖がついているので文脈に混乱がある。私はまず文章を見る。それが私の唯一の鑑定法である。明治の古本育ちだから私の文は分りやすいはずなのに分りにくいといわれる。反省しないわけにはいかない。
 まず私の文はまがまがしいことが書いてある。たとえば話しあいは出来ないと書いてある。もうそれだけで婦人の全部と男子の過半はいやな顔をする、ソ連とアメリカ、北朝鮮と韓国は話しあいが出来るか、ここに於て暴力が出る幕である、(戦争あるべし自然なら)括弧内は言う時と言わぬ時がある。
 読者は本を選ぶが、作者も読者を選ぶ。女に選挙権は要らぬと見ただけで怒る婦人まで読者にしようとしてはならない。どれどれ異なことを言うと耳をかしてくれる人だけを相手にする。人類を大別すると怒る婦人ばっかりで、男の過半もそれに加わる。してみれば市会の、県会の、ひいては国会の議員もその選挙民に迎合しなければならないからあれは仲間である。私が読者百人説を唱えるのはこんなわけからである。
『健康な人は本を読まない』『本屋を滅ぼす者は本屋だ』と私は本誌に書いた。小売書店にとっては売れる本が本である。それなら版元にとってもそうである。二年前『恋をしてきれいになろう』という題をかかげて、その号は売れたがもう古い、今度は『男をこしらえてきれいになろう』というタイトルを思いつくのが才能である。これしきの才もない社員が多いから編集長は叱咤(しった)するのである。こんな才でも枯渇する。菊池寛に三十歳定年説があるゆえんである。
 健康な人は本を必要としない。読むのは醜聞だけである。梅宮アンナは今は売れても半年たてば古本屋で一冊百円の箱になげこまれる。本を読まない人に買わせるには醜聞でなければならない。かくて本は出すぎる。来年は総くずれになるだろうと言うと、あなた本屋でしょと言われる。そうだよ、だれの頭のなかにも他人がいる。私のなかなる他人は増長(ぞうちょう)して、ついに当人である私を追いだしてしまった。私の発言はその他人をして十分に発言させたもので、ご参考になれば幸いだがなるまいなあ。昔私の母は私を外道(げどう)と評した。」

(山本夏彦著「最後の波の音」文春文庫 所収)

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