今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日の続き。
「中国は日本及び日本人をよく知っている。ひょっとすると、日本人より知っているのではないかと思われるほどである。たとえば、日本人は自国の宰相がいくら侮辱されても怒らない。第五列が怒らないばかりでなく、大衆も怒らない。新聞でなれているからである。
天皇の悪口を、もし新聞が大きく報道するなら、日本人も怒りだすかもしれないが、新聞がそれを大きく扱わないことを、中国は知っている。むしろ、人目につかないように、わずか五、六行で片づけることまで知っている。はたして新華社電は小さく出た。
わが軍国主義復活の証拠に、中国があげたものに、べつに何本かの映画がある。それは良心的だといわれる監督の、俗に反戦的だといわれる映画である。それを軍国主義的だと指摘されて、はじめあっけにとられるが、たちまち、これまた軍国主義ではないまでも、反戦的ではないことになるのである。いずれ軍国主義の証拠になるだろう。
げんに、いくら日本人が反戦的のつもりでも、中国人は好戦的とみると言いだす者がある。国土と人民にあれだけ迷惑をかけたのだから、中国人ならそう思う。その配慮が全くないと、我と我が身を反省する者があると、それに賛成するものがあらわれるのである。
それを中国人は知って、あっけにとられることを続々言いだすのである。かねて中国に対してすまないと言うものがあって、それは良心的な人々で、良心的なのはいいことだから、一億すまながると、中国人はにらんで言いだすのである。第五列以外の大衆を、引きこむのである。
(『小説新潮』昭和46年11月号)」
(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)
「中国は日本及び日本人をよく知っている。ひょっとすると、日本人より知っているのではないかと思われるほどである。たとえば、日本人は自国の宰相がいくら侮辱されても怒らない。第五列が怒らないばかりでなく、大衆も怒らない。新聞でなれているからである。
天皇の悪口を、もし新聞が大きく報道するなら、日本人も怒りだすかもしれないが、新聞がそれを大きく扱わないことを、中国は知っている。むしろ、人目につかないように、わずか五、六行で片づけることまで知っている。はたして新華社電は小さく出た。
わが軍国主義復活の証拠に、中国があげたものに、べつに何本かの映画がある。それは良心的だといわれる監督の、俗に反戦的だといわれる映画である。それを軍国主義的だと指摘されて、はじめあっけにとられるが、たちまち、これまた軍国主義ではないまでも、反戦的ではないことになるのである。いずれ軍国主義の証拠になるだろう。
げんに、いくら日本人が反戦的のつもりでも、中国人は好戦的とみると言いだす者がある。国土と人民にあれだけ迷惑をかけたのだから、中国人ならそう思う。その配慮が全くないと、我と我が身を反省する者があると、それに賛成するものがあらわれるのである。
それを中国人は知って、あっけにとられることを続々言いだすのである。かねて中国に対してすまないと言うものがあって、それは良心的な人々で、良心的なのはいいことだから、一億すまながると、中国人はにらんで言いだすのである。第五列以外の大衆を、引きこむのである。
(『小説新潮』昭和46年11月号)」
(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)