今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日の続き。
「私は一葉がひどい近眼で猪首で初対面の人には三つ指ついてお辞儀するような固苦しいところがあることも読んで知っていた。孤蝶が言うことが本当だろうことは、のちの三宅雪嶺夫人田辺花圃(かほ)も似たことをいっているので承知していた。若くして死んだ一葉はいよいよ美人になる。はじめは打消していたが、いつまで打消すのも異(い)なもので美人になるにまかせた。半井桃水(なからいとうすい)との仲はどうかと問われ、花圃はあれはのろけて自分から吹聴したのだと初めは言ったが、しまいには日記の通りですと降参するようになった。繰返すが私は一葉に惚れているのだから、いくら肺病ですすけているといわれても、忽ちもとの美人にもどってしまうのである。ちと兎に似ているけれど。
四つ年上のこの花圃は一葉と萩の舎塾の同門で、坪内逍遥の推薦で金港堂から『藪の鶯』という小説を出した。この一冊でひとかどの閨秀作家になって、三十三円二十銭の筆墨料を得たと聞いて一葉は羨ましくてならない。無謀にも私も、と思ったのである。金港堂は当時一流の版元である。
一葉は貧しい。いま極貧である。父則義が存命のころは中流ではないが食うに困るようなことはなかった。則義はなまじ商才があるのがいけなかった。晩年古い知人と共同で事業を起し、それが失敗して破産の宣告を受け負債だけ残して死んだ。時に明治二十二年則義六十歳、一葉十八歳。
残された母たき妹邦子は他家の洗濯もの針仕事をして一葉の小説が売れるまで支えた。一人ひとつき最低二円かかる時代である。三人だから六円、賃仕事ではそれだけもらえない。妹の友が朝日新聞のお抱え小説家半井桃水を紹介してくれた。桃水は妻に死別して独身である。これも聞えた美男である。一葉はひと目ぼれする。桃水も憎からず思っているがかりにも師である、耐えて知らぬふりをしている。
桃水が新聞の通俗小説家であることを一葉はやがて知った。それでも恋は恋である。花圃は一葉が自ら吹聴したというがそりゃそうだろう。一葉は祝儀の宴の晴衣の一枚もない。貴婦人令嬢に公然とないのは恋だけである。これが言わないでいられようか。日記は必ずしも本当のことは書かない。または書けない。人みな飾って言う。一葉の片恋はクライマックスに達する。孤蝶があらわれたからではない、緑雨(りょくう)が登場したからではない。
人みな心がわりする。誰しも身におぼえがあることである。その委曲は次回にと言いたいが私は迷っている。原文のままでは分らない恐れがある。さりとて口語文にダイゼストするのは勿体ない。
(『文藝春秋』平成14年7月号)」
(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)
「私は一葉がひどい近眼で猪首で初対面の人には三つ指ついてお辞儀するような固苦しいところがあることも読んで知っていた。孤蝶が言うことが本当だろうことは、のちの三宅雪嶺夫人田辺花圃(かほ)も似たことをいっているので承知していた。若くして死んだ一葉はいよいよ美人になる。はじめは打消していたが、いつまで打消すのも異(い)なもので美人になるにまかせた。半井桃水(なからいとうすい)との仲はどうかと問われ、花圃はあれはのろけて自分から吹聴したのだと初めは言ったが、しまいには日記の通りですと降参するようになった。繰返すが私は一葉に惚れているのだから、いくら肺病ですすけているといわれても、忽ちもとの美人にもどってしまうのである。ちと兎に似ているけれど。
四つ年上のこの花圃は一葉と萩の舎塾の同門で、坪内逍遥の推薦で金港堂から『藪の鶯』という小説を出した。この一冊でひとかどの閨秀作家になって、三十三円二十銭の筆墨料を得たと聞いて一葉は羨ましくてならない。無謀にも私も、と思ったのである。金港堂は当時一流の版元である。
一葉は貧しい。いま極貧である。父則義が存命のころは中流ではないが食うに困るようなことはなかった。則義はなまじ商才があるのがいけなかった。晩年古い知人と共同で事業を起し、それが失敗して破産の宣告を受け負債だけ残して死んだ。時に明治二十二年則義六十歳、一葉十八歳。
残された母たき妹邦子は他家の洗濯もの針仕事をして一葉の小説が売れるまで支えた。一人ひとつき最低二円かかる時代である。三人だから六円、賃仕事ではそれだけもらえない。妹の友が朝日新聞のお抱え小説家半井桃水を紹介してくれた。桃水は妻に死別して独身である。これも聞えた美男である。一葉はひと目ぼれする。桃水も憎からず思っているがかりにも師である、耐えて知らぬふりをしている。
桃水が新聞の通俗小説家であることを一葉はやがて知った。それでも恋は恋である。花圃は一葉が自ら吹聴したというがそりゃそうだろう。一葉は祝儀の宴の晴衣の一枚もない。貴婦人令嬢に公然とないのは恋だけである。これが言わないでいられようか。日記は必ずしも本当のことは書かない。または書けない。人みな飾って言う。一葉の片恋はクライマックスに達する。孤蝶があらわれたからではない、緑雨(りょくう)が登場したからではない。
人みな心がわりする。誰しも身におぼえがあることである。その委曲は次回にと言いたいが私は迷っている。原文のままでは分らない恐れがある。さりとて口語文にダイゼストするのは勿体ない。
(『文藝春秋』平成14年7月号)」
(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)