徒然写真帳

郡上でX人で始めたブログです。管理人の転居により、下呂、美濃、岐阜、恵那、下呂を経て一宮発のブログに!

下呂市のアユ釣りの歴史

2013-07-14 19:28:48 | Weblog
 今日は、何気なく益田郡誌の漁業のところを見ていたら、アユの漁獲量が以外と少ない。
 大正5年の頃の漁獲で全体で280貫目とあります。
 一貫が3.7kgですので1,050キロで約1トンです。
 岐阜県全体のアユ漁獲量のピークであった平成4年が1,726トン、少なかった平成17年でも461トンです。
 アユ釣りで有名な益田川や馬瀬川がある割には少ないな~
 更に読んでみると馬瀬村(現在の下呂市馬瀬)はアユの漁獲が無い。
 益田川でも現在の下呂市萩原町や旧下呂町内も少なく萩原町(現在の下呂市萩原町萩原)と中原村(推定ですが現在の下呂市瀬戸、焼石、保井戸かな?)がそれぞれ5貫で合計10貫、残る270貫は下原村、現在の下呂市金山町下原です。
 これは意外な印象を受ける。
 斐太後風土記を見ていてもアユが産品としてあがっているのは下原郷の村ぐらいですので益田郡誌と一致する。
 アユで有名となったのは大正を過ぎてからなので大正後期から昭和にはいってからかと気がつきます。
 ネットで調べてみると井伏鱒二が書いた「釣師・釣場」に登場する山下福太郎という静岡県の狩野川の職漁師が長良川を訪れ友釣りを教え、長良川の次ぎは馬瀬川へ移り住んだということです。
 このことを紹介しているホームページでは馬瀬へ行ったのは昭和15年とのことです。
 この記述を見て昭和に入ってから友釣りが普及したということがわかります。
 そのご色々な変遷がありアユで有名となったことが想像できます。
 こんなことを知ってしまったので明日は馬瀬川でアユ釣りでもしようかな?
 でも大正時代に馬瀬のアユの漁獲が0というのは驚きました。(管理人)








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