当初、大多尾峠を越え白川町黒川へ行こうと自転車を走らせていたら通行止めで行けず、急遽、大野峠を越えることに変更しました。
大野峠を越え自転車を走らせいた黒川の集落に差し掛かったところスギの巨木が目に入ります。
神社があるなと思いながら自転車を走らせ到着したのが佐久良太神社。
最初の印象は、社殿が何だか神社らしくない違和感を感じます。
参拝をしようと鳥居をくぐり社殿に到着するとコロナ追放かかしがあり、その脇には寄せ書きが。
書いてある内容をみると大半がコロナの終息を願うことの中に、ケイリン、ボートで勝てますように!とあり思わず吹き出してしまいました。
地域の方々に親しまれている神社だなと思い、大杉に近寄り大きさを実感してから自転車にまたがり、次の峠である護摩草峠を目指し出発しました。
といつものならここでブログの記事を終えてるのですが、ブログの記事を書くためにネットで佐久良太神社について調べてみてある事柄に目が留まります。
どのようなことかというと「釋泰澄大師が東国御巡錫の際、此霊山に白山比メ命を創祀せられしより白山神社と称し来り、明治5年4月旧苗木藩主遠山公の許可を得て佐久良太神社と改称」です。
明治5年4月に苗木藩当山公に許可を得る?少々考えてみると白山神社は白山修験道に関係し、白山権現です。
苗木藩は廃仏毀釈を徹底的に行ったことで知られていますので白山修験道の消し去ろうとしたので黒川の人たちが佐久良太神社への改称を認めてもらい守ったことが想像できます。
このことを知って、最初私が訪れた時に感じた神社らしくないなと感じたのは改称前の白山神社(権現)であったことに通じるだろうか?
恐らく当時の記録は残されていないことが予想でき調べても分からないだろうと思うのですが、明治の初めに白山神社を守ろうとした黒川の方々が今の時代まで大切にしてきたのだろうと思いました。(管理人)
社殿が神社らしくないです
神社にかかし、なかなかユニークですね
寄せ書き、真面目に書かれているものの中にケイリン、ボートで勝てますように。失礼かもしれませんが思わず吹き出しました
大杉、これがなかれば立ち寄らなかったでしょう
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大野峠を越え自転車を走らせいた黒川の集落に差し掛かったところスギの巨木が目に入ります。
神社があるなと思いながら自転車を走らせ到着したのが佐久良太神社。
最初の印象は、社殿が何だか神社らしくない違和感を感じます。
参拝をしようと鳥居をくぐり社殿に到着するとコロナ追放かかしがあり、その脇には寄せ書きが。
書いてある内容をみると大半がコロナの終息を願うことの中に、ケイリン、ボートで勝てますように!とあり思わず吹き出してしまいました。
地域の方々に親しまれている神社だなと思い、大杉に近寄り大きさを実感してから自転車にまたがり、次の峠である護摩草峠を目指し出発しました。
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どのようなことかというと「釋泰澄大師が東国御巡錫の際、此霊山に白山比メ命を創祀せられしより白山神社と称し来り、明治5年4月旧苗木藩主遠山公の許可を得て佐久良太神社と改称」です。
明治5年4月に苗木藩当山公に許可を得る?少々考えてみると白山神社は白山修験道に関係し、白山権現です。
苗木藩は廃仏毀釈を徹底的に行ったことで知られていますので白山修験道の消し去ろうとしたので黒川の人たちが佐久良太神社への改称を認めてもらい守ったことが想像できます。
このことを知って、最初私が訪れた時に感じた神社らしくないなと感じたのは改称前の白山神社(権現)であったことに通じるだろうか?
恐らく当時の記録は残されていないことが予想でき調べても分からないだろうと思うのですが、明治の初めに白山神社を守ろうとした黒川の方々が今の時代まで大切にしてきたのだろうと思いました。(管理人)
社殿が神社らしくないです
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