徒然写真帳

郡上でX人で始めたブログです。管理人の転居により、下呂、美濃、岐阜、恵那、下呂を経て一宮発のブログに!

気持ちがのらない連休

2022-09-25 22:15:18 | Weblog
 連休初日の23日は台風15号の影響で雨。
 朝に用事があったので早朝に傘をさしての散歩後に用事を済ませ実家へ。
 翌日は台風一過で晴れたので138パークと極楽寺に出かけた以外は実家の庭の手入れ。
 本日は何処へも出かけず実家の庭の手入れと読書。
 実は明日休暇をとっているので4連休で、今日は気合を込めて山へも行けたのですが行かずじまい・・・
 何だか気乗りがしないのです。
 流石に明日はアユ釣りにでも行こうと思っています。
 少し早いですが明日の釣行で竿を納めようと思っています。
 来週は山へ行くかサイクリングに行くか。
 どうしようかな?
 何だか、このところ気分が乗らないですね~。(管理人)



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浅水橋

2022-09-25 14:12:12 | Weblog
 23日の朝、傘をさして散歩に出かけた時に浅水(あさんず)橋を渡りました。
 この橋は位山官道越えの道のため奈良時代からある橋と思っていたのですが、帰宅後改めて調べてみて私が間違って覚えていたことが分かりました。
 この場所は金森長近が飛騨を統治していた時に小坂、久々野に道を開拓したため位山峠越えの道は間道になり天正時代に一旦橋は無くなり渡場になっていたのです。
 再び橋が架けられたのは明治25年です。
 今年の7月に明治25年に竣工した浅水橋のことをブログで書いているのですが、書いた時は現在車の往来がある新浅水橋のことかと思っていたのですが、実は写真の車が走ることができない吊橋であったことに気づきました。 7月の記事(この時書いた私の想像も違ってきますね)
 明治25年だと、まだ車の数が少なく車道橋まで作る必要が無かったのですね・・・
 ちなみに明治25年は川西村誌によるもので飛騨高山匠の技デジタルアーカイブの「あさんず橋」によると明治26年となっています。
 どちらが正しいのかな?と思うのですが誤差の範疇でしょう?。
 浅水(あさんず)橋にまつわる歴史については先にリンクした「あさんず橋」を読んでいただければ詳しく分かりますので興味のある方はご覧ください。
 位山官道が廃れ明治25or26年に橋ができてからは馬瀬から物資は連坂峠を越え浅水橋を渡り上呂へ、萩原からの馬瀬へのルートは、その逆なのですが、浅水橋ができたことにより、萩原と馬瀬の交易の拠点となったとがよく分かりました。
 その後、益田橋ができてからは日和田峠を越えるようになり萩原と馬瀬の交易の中心では無くなったのですが、中心であった時は賑わったとのことです。
 今でも尾崎、上呂の双方に小さいながら商店街はあります。
 上呂についてはJR高山線上呂駅が近くにあり不思議には思わなかったのですが、尾崎に商店街があることが今まで不思議でであったのですが、馬瀬との交易の中心であった時代があったことを知って尾崎に商店街があることに納得をしました。
 今も昔も交通インフラが私たちの生活に大きな影響をもたらすのだなと浅水橋の歴史を改めて調べてみた結果分かりました。
 観光地ではないですが、尾崎側には農協のあさんず会館、上呂側にはJR上呂駅がありますので車を止めておくこができますので、興味がある方は訪れてみてください。(管理人)


  尾崎側
  

  上呂側
  


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