徒然写真帳

郡上でX人で始めたブログです。管理人の転居により、下呂、美濃、岐阜、恵那、下呂を経て一宮発のブログに!

尾張藩の木材利用

2023-10-23 21:12:37 | Weblog
 先日、中津川市加子母にある山守資料館を訪ね、川上村、付知村、加子母村の裏木曽三ヶ村と三浦村の尾張藩直轄天領の山林管理をしていた山守の家に残された4万点に及ぶ資料を紹介する施設です。
 ひとまず施設と書きましたが今から260年前に建てられた山守である内木彦七のお宅です。
 膨大な資料は徳川林政史研究所によって解析がすすめられ、その一旦を学びに行ったというわけです。
 その説明の中で気になったのが尾張藩がどんな木材を必要としていたのかということ。
 そのことを伺いしることができるスライドがあったので私なりに思ったことを書きたいと思います。
 尾張藩と言えば「桧一本、首ひとつ」と言われ厳しい伐採規制があったことが知られています。
 裏木曽の山守の資料では今のところ首をとったという記述は見つかっておらず木曽の別の地域であったようです。
 この厳しい禁伐はヒノキだけでは無く、ヒノキ、ヒバ(アスナロ)、サワラ、ネズコ、コウヤマキの5種に及び木曽五木と言われています。
 ですが、先日訪ねた山守資料館で見た木材の流送に関するスライドに書かれていた樹種が五木だけでは無かったのです。
 その樹種は檜(ヒノキ)、漢字がでてきませんがヒバ(アスナロ)、この2種は五木ですが、その他は姫子(ヒメコマツ)、栂(ツガ)、これも漢字がでませんがモミ、栗(クリ)、松(アカマツ)、槻(ケヤキ)でした。
 今でも、ヒノキ、ヒメコマツ、クリ、アカマツ、ケヤキや建築材で使われます。
 アスナロについては狂いが生じやすく使われることは稀だし、ツガについては私は分かりません・・・
 成程と思いながらスライドを見て木曽五木だけでは無かったんだなということを知ることができました
 ちなみに、木材を川に流す前に製材をし岩に当たっても割れないよう「ときん」をつけて流します。その時に樹種やサイズ、誰が伐ったかを記していたとのことです。
 これを見て、ふと思ったのが同様に幕府直轄領の天領から伐り出した木材を流していた幕府の存在。
 幕府は益田郡で伐採した木材を飛騨川を流しました。
 飛騨川は美濃加茂市で木曽川と合流します。
 ということは木曽川の飛騨川合流点の下流では尾張藩の木材、幕府の木材双方が集まってくるということ。
 それぞれの木材をどのように区別したのだろう?
 新たな疑問が沸いてきました。
 幕府の材は木曽川と合流する下麻生綱場で一旦木材を綱で止めいますし、尾張藩は八百津の錦織綱場で止めています。
 その時に大きな筏を組んだとうことですのですので、その時に混ざらないようにしたであろうことは想像できますが、具体的には何をしただろう?
 ものすごく気になります。
 この謎について掘り下げてみたいな~と思っています。(管理人)
 






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コメント
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