下呂市萩原町上呂から尾崎浅水の間を流れる益田川に掛かる浅水橋。
何度も、掛け替えられているのですが、浅水橋そのものの歴史は長く、奈良時代まで遡ります。
上呂は、東山道の飛騨支路であった位山官道の駅があったとのこと、そこから浅水橋を渡り、益田川の対岸へ移り、山之口川を上流に進み、位山峠を越えて飛騨国府へと続いていたのです。
今は国道41号線やJR高山線は益田川沿いに益田川沿いに幹線があるのですが、益田川沿いの急峻な地形は当時の土木工事技術では対応できず裏街道でしかなかったのです。
今の様子からは想像できませんね!
そんな歴史的な要所である浅水橋に、先週の土曜日、雨の中、諏訪城址での散策後、上呂まで散歩し、浅水橋を渡り自宅へと向かう散歩をしてきたのです。
雨の中、傘を差して渡っているときに、昔の人のように位山官道を高山まで歩いていこうかな?なんて漠然と思いました。
あわよくば飛騨国府まで!なんてことを。
そんな構想を持ち、歩いていかない?と周囲の人に聞くと大抵の人は「一人で行って」といわれます・・・(管理人)
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