飛騨の榊はソヨゴということ教えてもらっていて、何の疑問を持たずにいました。
このことは間違いでは無いし正しいと今でも思っています。
ただ、飛騨全域では無いということ。
飛彈國の南部である旧の益田郡の上呂郷と萩原郷あたりに利用の境があるようだということに気がつきました。
なので正確には飛騨の榊は飛騨の南部の一部を除きソヨゴというのが、どうも正確ではないだろうか?と疑問を持つようになりました。
そう思ったのは先週の土曜日に萩原町萩原の諏訪城址周辺を散策した時に諏訪神社の拝殿に縛り付けれた榊はサカキでした。
また、先月、萩原町上呂にある久津八幡宮の榊もサカキであったということ。
この2箇所から飛騨の榊はソヨゴだけじゃないぞ!ということに気がついたのです。
一体全体、利用の境はどこ?と素朴な疑問が沸いてきました。
以前にかつての中呂郷野上村である下呂市萩原町野上の人に祭りの時にショウギ(ソヨゴ)を使うと聞いています。
どうも、現在の下呂市萩原町に榊の利用の境界が存在するのでは?ということが漠然と分かってきました。
これからは、意識して下呂市萩原町の神社を訪ね利用の境を探ってみようと思っています。
以前から、ソヨゴを榊として利用するのはサカキの代用としていう説を聞いていて、ソヨゴの代用がサカキとも考えられると思っていたのですが、サカキの飛騨の分布限界が下呂市萩原町にあることから、サカキの代用としてソヨゴが使われるという説は間違いでは無いな!と思っています。
これは、下呂市萩原町内を徘徊する良いテーマが見つかったぞ!と一人ほくそ笑んでいる今日この頃です。(管理人)
<先月のサカキの記事>
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ただ、飛騨全域では無いということ。
飛彈國の南部である旧の益田郡の上呂郷と萩原郷あたりに利用の境があるようだということに気がつきました。
なので正確には飛騨の榊は飛騨の南部の一部を除きソヨゴというのが、どうも正確ではないだろうか?と疑問を持つようになりました。
そう思ったのは先週の土曜日に萩原町萩原の諏訪城址周辺を散策した時に諏訪神社の拝殿に縛り付けれた榊はサカキでした。
また、先月、萩原町上呂にある久津八幡宮の榊もサカキであったということ。
この2箇所から飛騨の榊はソヨゴだけじゃないぞ!ということに気がついたのです。
一体全体、利用の境はどこ?と素朴な疑問が沸いてきました。
以前にかつての中呂郷野上村である下呂市萩原町野上の人に祭りの時にショウギ(ソヨゴ)を使うと聞いています。
どうも、現在の下呂市萩原町に榊の利用の境界が存在するのでは?ということが漠然と分かってきました。
これからは、意識して下呂市萩原町の神社を訪ね利用の境を探ってみようと思っています。
以前から、ソヨゴを榊として利用するのはサカキの代用としていう説を聞いていて、ソヨゴの代用がサカキとも考えられると思っていたのですが、サカキの飛騨の分布限界が下呂市萩原町にあることから、サカキの代用としてソヨゴが使われるという説は間違いでは無いな!と思っています。
これは、下呂市萩原町内を徘徊する良いテーマが見つかったぞ!と一人ほくそ笑んでいる今日この頃です。(管理人)
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萩原町では間違いなく食習慣はあります。旧下呂や金山あたりを調べてみると分かるかも?
ソヨゴとサカキは、萩原に境があることが確実な状況です。