と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

健闘を祈ります

2009年02月23日 19時09分20秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今日まで志願変更です。
 大変ですね、受験生は。
 ここではこの問題についてコメントできませんので、これくらいにします。
 しかし、是非とも多くの方が受験してくださるよう祈るばかりです。

 選択される立場のつらさとでも言いましょうか。

 しかし、状況によっていかようにでも変化があり得るわけです。
 日本の全体的なあり方自体が、状況によって変化してきました。
 状況が変わればその都度あわせていくやり方が主体でした。
 状況の変化に従っていくらでも変身可能な社会であったわけです。
 そこには「真」というものがあったのかどうか。
 こういうのを問題先送り型というのだそうです。

 これも時事問題になるのでこれくらいにしましょう。
 しかし、不便なものですね。書きたいことは何も書けません。
 (^0^)/


 オブラートに書かせていただくなら、たとえば津和野という町があるのです。
 若い人はあまり行ったことの無い人が多いでしょう。
 ここには、戦後大急ぎで作られたような空間と時間を忘れさせるような「ふるさと」があります。森鴎外とか西周という大文化人が出た土地でもあります。どんな状況下でも、変わらない文化がそこにはあったような気がしてなりません。
 一種の憧憬なのでしょうけれども。

 文化の素材化というか、全部輪切りで切って捨てたような軽薄な動きが多い中で、こうした古い町並みには何かがある。少なくとも型どおりのCMみたいなワンパターンではないものが。

 どうもこれまた奥歯にものの挟まったような感じでしか書けないのですが。
 
 職業を離れて、いろいろな方々と対話をさせていただければとしみじみ思います。


 
 さて、先週末からずっと読書散策をしておりました。
 察しのよい方はわたくしがどうやら能の本を漁っているのではないかと思われていたと思います。
 
 そのとおりです。

 そこから何を考えていたかと申しますと、進学主体に学ぶということは何かということでありました。
 どうも譬えは悪いのですが、社会的リーダーの本領が発揮されるときというのは、あるいは試される時というのは、という疑問があるからなのです。本校からもかなりの確率で社会的リーダーが出るかもしれませんから。
 
 で、社会的リーダーというのは、どうもフロンティアを目指せる人なのではないかと思ったわけです。

 学生はどうしても~~~~してくれという受動型人間になりやすい。
 わかるように教えてくれ
 何を勉強したらよいか指導してくれ
という案配です。

 フロンティアというような場所に立ったときに、そういう受動型の人間が生きていけるか、ということに思い至ったわけです。

 能は、花のある動作などを扱います。
 どっかで関連しているような気がしたのです。
 
 もっと言えば、「自己観察」ができない人間ではいけないと思うからです。自己嫌悪や、自己懐疑の経験なしに大人になった時に困るのは生徒自身かもしれないと考えたのです。



 今日もあまり天候がよくありません。
 
 今週は学力検査の週です。
 
 皆さんの健闘を祈ります。

 がんばってください。


 
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本校の概要について話をさせていただきました

2009年02月23日 19時06分26秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 獅子文六の「海軍随筆」を読んで、土浦の場面に妙に感心しておりました。

 短文で実に歯切れのよい文章が続きます。

 常体の文章だと可能です。
 このブログのように敬体で書いているとどうしても長くなります。
 
 生まれつきの駄文書きですから、しょうもないですけれども。
 
 しかし、獅子文六先生の、霞ヶ浦のヌシという描写はいい。

「ヌシは湖中で一番深い浮島のあたりに栖んでいるとのことだった。天気のいい風のない日には、ヌシの背中が湖面に現れるといっていた。正体は、鯉だが鯰だか知れぬが、大きな黒い魚だといっていた。『でっけえのなんのって、鯨くらいあるからな』 私が笑ったら、彼は眼を剥いて怒った。彼自身が実見したというのである」

 どうです。
 目に浮かぶようでしょう。
 時々あのあたりは車で通りますので、土地勘もありますから。

 しかし、いい文章はいい。
 まったくこういう天才に生まれたかったと思います。
 (^0^)/
 
 つまり何を言いたいかと申しますと、文章とお話をさせていただくということは同じで、獅子文六先生のようなシンプルな表現の中に真髄があると思うのです。しかしこれがなかなか難しい。

 ☆

 銚子市内の経済人の方々にちょっとだけですが、本校の概要についてお話をさせていただきました。「上杉鷹山と学校経営」というTitleでありました。ある意味、わたくしのもっとも得意とする分野かもしれません。わたくしのやっているようなニューメディアで学校を広報(本当はディスクロージャー)していくということもまた重要なのではないのかと思った次第です。経営者の方には、釈迦に説法ですが。

 本当は広報とか宣伝とは考えておりません。それでは経営センスを疑われます。中学校の皆様に信頼をいただくということが最初にくるべきことでありますから。

 しかし、そういう機会を与えていただいたことを心から感謝しております。
 これもまた人との縁(えにし)であります。

 社会的なむすびつきを一切シャットアウトしていたら、こういう機会はありません。ありがたいものです。

 動画を多用して、映像で見ていただきました。
 多くを語るより、一コマの映像です。
 しかも、理解度が高まります。

 去年の6月から意図的に映像作戦を展開してきました。
 まだまだ素人であります。
 まったくしょうもない。
 
 ただし、インターネットとなると難しい面も多々あって、先に進みません。
 こんなブログです。

 長いおつきあいを。

 また、明日。

 
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/