と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

原稿です

2009年02月28日 09時48分39秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 卒業式当日は、卒業生の顔を見ながらやってしまいましたので、かなり変更している部分があります。
 
 つまり元原稿です。

 精一杯のはなむけのことばでした。

 幸、多かれと祈るばかりであります。




 式辞(抜粋)

 春と呼ぶにはまだ早く、時折は寒さを感じる朝、多くのご来賓と保護者の方々をお迎えし、ここに千葉県立銚子高等学校第五十五回卒業証書授与式を挙行することができ大変喜ばしく感じております。またその喜びを一五〇名の卒業生の皆さんと共に分かち合いたいと思います。
 来賓の皆様にはご多忙な中にもかかわらずご臨席をたまわり有り難うございます。また保護者の方々にはお子様のご卒業おめでとうございます。心よりお慶び申し上げます。

 特筆すべきことは、十二カ年皆勤という卒業生が二人おられるということであります。保護者の方の家庭教育のすばらしさと申すことができましょう。

 卒業生の皆さんは、青春の貴重な一時期をこの県立銚子高校で過ごされました。この間に見違えるほど心身共に成長され、立派な人間となって本日、晴れの卒業式を迎えることになりました。本当におめでとうございます。

 振り返って考えてみると皆さんは先生方の指導の下、よく学び、よく鍛え、さまざまな体験を経てきたことであろうと思います。そして、今、ある者はすでに大学や短期大学、専門学校等の合格を勝ち取り、また多くの者は進路を自ら選びとり、今日の卒業式に臨んでいることだと思います。

 皆さんは今日の卒業式を境にして、いよいよ、大海原に乗り出すのであります。今日まではある意味では来るべき未来に対する備えの時期でありました。皆さんを指導してきた全教職員並びに三学年の先生方は皆さんに十分な備えをなして、この銚子の地から大海に送り出そうとしているのです。

 さて、昨年は、「原油高騰止まらず」と新聞各紙に報道されましたように、世界は今、解決困難な課題に直面しています。
 今こそ、わたくしたちは物質経済の基盤の弱さを自覚し、生き方を真摯に改める時期に来ていると強く感じるのであります。湯水のように石油製品を使い、贅沢をしていた時代は過ぎ去ったと感じるのであります。
 
 物質から精神性への移行を推進して行くべき時期にきたのではないかと思います。そして、こういう時期にこそ求められるのが、心身の美しさであります。表面的ではない美しさというものは、マナーと言い換えてもいいと言われています。マナーは美しさなのであります。こころの占める部分が大変に大きいのです。

 たとえば、箸の持ち方でも、箸は三手で取れと言われています。
右手、左手、また右手ととるのが作法であります。

 また、他人の家に訪問したときには、応接間に通されたらいきなり自分から座るのは大変失礼になります。なんのために、壁に絵などが飾ってあるかということを考えていただきたいと思います。訪問先の方がどうぞとおすすめするまで立っているのがマナーなのです。

 そういうなにげないことを、なにげなく出来るようになることが、美しさであります。美しいということは、マナーで言えば「厳しい」という意味でもあります。自己に厳しくありたいものです。昔は厳しいの「巌」という字を「うつくし」と読みました。意味は過不足がないということです。

 心身ともに過不足のない生き方をしていただきたいと思います。特に心の面ではこれからもまだまだ修養すべきことは多くなります。身体の面でも、食生活に十分気をつけ、健康でありたい、あっていただきたいと思うばかりであります。

 心を磨くという点では、特に修養になる書籍を読んでいただきたい。学校の勉強とはまた違った分野での体験になると思います。これからは、女性としての生き方を確立し、考え方や感じ方を磨き、立派な社会人としての自律的な生き方を願うからであります。

 マナーと自己の心身を鍛えるということが、日本のよりよき伝統を継承し、またあなたがた一人一人の幸せにもなります。
 
 どうかこれまで保護者の方々から受け継いだ暖かい人間性で価値ある人生を歩んでいただきたいと願っています。

 皆さんは在学中に多くの知識を身につけ、さまざまな体験をしたことと思います。しかし、その中で最も大切なことは「謙譲」であると私は考えています。そのことに裏打ちされた知識でなければ何の意味があるでしょうか。現代は急激に科学技術が進歩していますが「畏れる」事を知らない科学技術、「敬愛」することを知らない科学技術であってはならないと思っています。自分の利益ばかり追求している国や組織、人間は環境問題まで引き起こしてしまいます。すべての文化文明は、他の者の幸福のためにあるべきであります。
 
 自分勝手で他人への配慮を知らない傲慢不遜な組織や人間は、どこかで補償が待っています。そのままにはしてくれないのが、原理原則であります。
 
 自分の幸福、自分の都合ばかりで生きていけるほど世の中は甘くはありません。他人のために出来ることを精一杯やることができる人間になっていただきたいと願うばかりであります。自他共栄。自分も他人も共に栄えることになんの異存がありましょうか。 

 卒業後、皆さんは順風満帆の人生を送ることでしょう。いや、送っていただきたいと強く願うばかりであります。
 しかしそのような中でも道に迷ったり、悩んだり、苦しんだりすることが必ず出てきます。その時にはぜひ県立銚子高校で学んだ数々のことを思い出していただきたいと思います。友人たちと語りああったこと、先生方とのふれあいを。
 校歌にもすばらしいこころ洗われるような言葉があります。

 希望にゆれる十八の冬
 たとえ遠く離れていても ずっと友達でいたい
 自分の生きる道を 自分で歩くために

 この校歌の意味するところを忘れないでください。

 最後にわたくしは「夜と霧」で著名なフランクルがその著書の中で紹介している箴言を皆さんに贈って餞の言葉としたいと思います。

もし私がそれをしなければ、だれがそれをするだろうか
しかし、もし私が自分のためだけにそれをするなら、
私は何であろうか。
そしてもし私が今しなければ、いつするのだろうか。

 以上をもちまして卒業式の式辞といたします。




平成二十一年三月六日
  
千葉県立銚子高等学校長 外山 日出男
コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/