人生は修行だと常々思ってきたが、それは師匠がおられるということでもあるのだと気がついたよ。ありがたいことである。
太極拳をかじって数ヶ月にしかならない。この4月から始めてみた。エコノミークラス症候群になってICUに入るという大病をしたので、もう柔道はできないからだ。なにかボキのようなモノでもやることができる運動を始めたいと思ったからやり始めた。もっともウオーキングは毎日10キロ以上はやっている。正直、こんなに健康や長生きに関心があるとは、ボキも驚いた。けっこう欲が深いのですなぁ~~~、ボキは(^□^)。
太極拳は、なかなか奥が深そうだ。まったく理解できない世界がありそうだ。「気」と言うことを先生が言われることも気になる。知らない世界であるからだ。
あるいはそんなもん全く無いのかも知れない。それでも良い。中国文化をかじったというだけでも良し。ま、ボキはなんでもかじる程度のことしかやっていないけど。
それでも、太極拳を教えていただいてある効果があったことを自覚した。太極拳の大先生はじめ、周囲の先輩たちにも自然に「先生」と呼んでいるボキがいた。
新鮮だった。
そうなのだ。ボキは、ジジイになってもまだまだ先生と呼べるだけの謙虚さがあったのだ。これにびっくりしたのだ。しかも自然に出てくるのだ。クチからである。
あああああああと思った。
ボキってまだまだ謙虚に生きているし、教えていただきたいという貪欲さも持っていたのだ。それに感動してしまった。
そしてあっと気がついたことがあった。
それだけ、未熟なのだということにである。
なにをやっても専門家と自称できるだけのものがないからだ。全部素人である。なにをやってもド素人。
他人様を指導できるようなタマではないのだ。
だから、ボキのような未熟なジジイを相手にしてくださっている若い方々に感謝しなくてはならないのだ。大学や通信制高校、学習塾、交通安全講話で聞いてくださっている若い方々のことである。
そういう方々は、ボキにとっては教える対象ではないのだ。むしろ、ボキのタマシイを成長させてくれる師匠なのである。
それに気がついた。
今朝のことである。
歩いていてはっと思ったのである。
ジジイになったから一人前になったと思い上がっていてはならん!
ジジイになってもお師匠様がいてくださることに、感謝である。実にありがたいことである。
タマシイの成長のために、まだまだ学ぶことである。
身体は衰えてくるが、精神はまだまだ成長できる筈である。
ううううううううううううううううううううううううううむ。
今日も良き一日でありたい。
ヾ(@⌒―⌒@)ノ