長生きしたいのは邪気のあらわれでございまするよん。欲望まみれのただのジジイでございますから。
今朝のウオーキングは暑かった。
朝の4時30分にはスタートした。霧が出ていた。したがって、太陽はまだ雲のかげに隠れていた。しかし暑い。湿度が高いのだ。
それでもボキはめげずに歩いた。距離にして7.0キロ。Metsで8700歩。歩いてきた。午後からもGymに行ってくるのだから話にならない。
それだけ長生きしたいという邪気の現れだよん(^0^)。
歩いているときは、MPG4に変換した各種講演を聴いている。スマホに仕込んである。これが楽しい。さらにある。太極拳の動画も見ている。見ながら実演をしているのじゃ。まるっきりアホみたいである。前後を歩いていた人がいたら、狂っているとしか見えないだろうなぁ。
長生きと言えば、中国古典の医書である「黄帝内経素問」がAmazonから来た。ローソンに届いた。2700円であった。新刊である。安いと思ったら、なんとこちらは訳のみ。原文はなし。原文は図書館から借りて(こっちも訳はついている)コピーして使っている。
なかなかのものである。この本。
こんな本にあらかじめ出会っていたら、血液系の病気にはならなかっただろう。要するに、バランスを崩していたのだ。大酒飲みで、話にならなかった。柔道のような激しいスポーツをやり過ぎた。柔道をやってから、生ビールを呑むのが楽しみだったのだから、これじゃぁ病気になってしまう。しかも、大食漢であった。メシが美味いのだからしょうもない。
こういうデタラメな過去を過ごしてきたのだ。
天罰てきめんとはこのことである。
天は見逃してはくれなかったのだ。
しかも、論文執筆と称してゴミをたくさん生産していた。こんなんじゃぁ、話にならない。挙げ句の果てには定年後に入学した某大学大学院から去ってしまった。ご縁がなかったということになる。
天命だったのだ。
しかし、このご縁というのは不思議なものである。なにがご縁になっているのか考えたこともある。目に見えないものが縁なのだろう。因果応報の結果、そういうものが派生してきたのかもしれない。
あるいは、亡父亡母をないがしろにしてきた結果なのかとも思う。やはりどっかに苦学した原因は理解のなかった亡父亡母にあったという原因転嫁説をとっていたのだろう。
なさけないことである。
新聞配達をして学部に行くしか無かったから、修行になったのである。そこのところがすっぽり抜け落ちてしまっている。感謝しなくちゃアカン。日本経済新聞の販売店で修行させていただいていたのである。
もっとも学部卒業後は、日本経済新聞を読むことはまったくなかったが(^0^)。
あ、少しだけ読んだか。株をやっていたときだった。これも大損してからは、読むのをヤメタが。
今日は午後から孫(女児)が来る。長男の嫁さんが検診に行くためである。二時間ほど預かる。
楽しみである。
泣くかな?
だぶん泣くだろうな。
ボキじゃダメだろう。
ば~~ばなら泣かないだろうから。
楽しみ楽しみ。
ヾ(@⌒―⌒@)ノ