今朝、某評論家の動画を寝ながらベッドで見ていた。鬱病は社会的な構造変化なくしては改善できないと言っていた。非常にチカラ強い応援歌であると思った。何でもかんでも個人的な責任のせいにするのは、いかがなもんかと考えてきたからである
年端もいかない子どもたちに責任を負わせてはならない。そりゃ、勉強が大事であるとか、その成果が安定感のある人生をおくるために必須だというのはわかる。
しかし、本当にそうだろうか。真のエリートというのは、確かに強靱な精神を持っている。だからこそエリートになれたのであろうから。
でも、世の中には弱者もいるのである。ボキのように、地の果てから立ち直ってきたジジイもいるのである。そこんところを勘違いしたらアカン。親も教師もである。
そりゃぁ、世間のアホ大学生たちのように親の援助で大学に遊び半分遊学できたらよかっただろうが。出来なかったからなぁ。おかげで、ずいぶん世間智ができたからありがたいよん。
ともかくだ。鬱病になったからと言って心配する必要はない。医者に行って相談するこっちゃ。
信用できないのは医者だと言う気もするけど。
それより、社会を構造変化させることの方が大事だという気もするがねぇ。
ジジイの戯言かもしれないが。
BYE-BYE!