入院していた時は、孤独ということをしみじみと感じていた。当たりまえである。友人知人もいない。入院ということをきっかけにある一定の期間を縛られているのだから。
絶対直すぞという希望がなくちゃ、あんなもんやってられない。だから、積極的に話しかけた。ナースや理学療法士、介護福祉士などの方々に。他の患者さんにも。うるさい患者だったろうに。感謝しているけど。
ラジオが友人の代わりをやってくれていた。スマホのアプリである。便利なものだった。
リハビリがあるから、気晴らしにはなっていたんだろうけど。まったくこれが無かったら、精神的に病んだ。リハビリの先生方はそのあたりを理解されていたのだろう。会話に応じてくれた。ありがたかった。
面倒くさいジジイだったろうに。申し訳なかった。
で、孤独ということからもっと考えたことは、寂寥ということだった。現役時代はまったく考えなかったことである。つまり、死んじゃうということが現実の問題としてせまってきたということである。
家族とも、友人知人とも別れなければならない。
こんなサミシイことがあろうか。
入院していれば当然迫ってくるのだ。
アウシュビッツで生き残った御仁の作品を思い出していた。明日生きていられるかわからない。いつ死刑になるかわからない。それでも希望を失わないヒトだけが生き残った。ラジオで知った。感動した。勉強になった。
ボキはサミシイ老後だけど、それでも希望だけはうしないたくねぇと思った次第である。
BYE-BYE!