まだ名がないものや生物に名を与える―単なる呼称では無く、まことの名を与える、これこそは人間が持つ能力の中で、もっとも人間の根源的なものだ。これにより、はじめて人と周りのものに関連ができ、その人にとり、その存在は初めて現実となる。 『エンデのメモ箱』
芸術と文芸が最上の意味で遊戯と内なる類縁関係にあるとすれば、芸術家や詩人はすべてを―おぞましいことも愛しいことも、俗なことも聖なることも、馬鹿げたことも至高の真実も―ひとつの遊戯に変える。そしてこの遊戯は芸術家や詩人には真剣なことなのだ。 『エンデのメモ箱』
哲学というのは、知を愛することであると、かのソクラテスさんは云った。そのとおりである。哲学で、ニヒリズムの快癒とか、絶望からの脱却とか、構造主義的にどうだらこうだらと云われてきた。オレもまたそ... goo.gl/EGNpR7
「十一面観音を水辺に立てることは、治水や利水の成果を示すため…先人を弔うためだったのではないか。あるいは町や村の近くまで押し寄せた津波や洪水の経験を記憶にとどめるためだったのではないか…」→畑中章宏『津波と観音』亜紀書房akishobo.com/book/detail.ht…
国際会議で学生が素晴らしい発表をして、指導教員に「あの学生いいね!博士過程なの?」と聞くと、指導教員が「いや、修士の学生で、もうすぐ卒業して就職しちゃう。優秀な学生が博士に行ってくれないんだよー」と嘆くのは、日本と台湾の大学教員でよくあること。
歴史の総体を裁きながら、しかも歴史の終末をしるしづける戦争そのものに対しても外部的であることで、終末論的なものは、それぞれの瞬間それ自体において、その瞬間各々の十全な意味を回復させる。つまり、一切の事案は、時が満ちて審理に付されていることになるのである。-全体性と無限-
ところで、国際会議で発表する学生は、欧米では博士の学生ばかりだけど、日本ではカリキュラムが早いので修士の学生も論文の発表します。海外では例外的に、台湾の学生も修士で研究発表をしますけど、これは、戦前の日本の統治の影響なんですかね。
自分の限られた留学の経験にすぎないけど、アメリカは理系の講義の宿題でも、チームで解かせるのは、日本とは全然違うと思いました。理系でも、講義の中でチームワークやリーダーシップを育成しているのは、日本も大いに学ぶべきだと思いました。
まあ、「日本の教育はダメ」とか言っている人は、中学入試の試験問題を自分で解いてみることをお勧めします。日能研や四谷大塚のHPから無料でダウンロードできるので。ビックリするくらい、難しいですよ。
民俗芸能STREAM新聞 is out! paper.li/souryukutsu/13… ? Top stories today via @dankichi0423 @tokusyuu @Shinjyukuku_Gui
新しい記事です。会社から支給されるITツールは常にトラブルのもとです
→サラリーマンのお前ら、会社のPC、携帯に気をつけろ!(常見陽平):The Workaholics hardwork.nifty.com/cs/catalog/har…
『太平御覧』のスキャンが終了したので、『ドキュメント 東京大空襲』のスキャンしてます。国は国土と国民を守るために強力な軍隊が必要だと言っていたわけですが、戦争とは、始まってしまえばそんなもの守ることなどできないことを見せつけてくれます pic.twitter.com/5ZgcI7Bqqt
採用。録られていることにより「怒鳴る」「脱線する」「寝る」が減る効果も期待できます。 RT @MJC_TPZ:eラーニングによくある授業を録画するシステムを利用して、議事録はビデオという訳に行きませんかね。
発想の転換から生まれる30代からのキャリア形成 :日本経済新聞 s.nikkei.com/14XEYBf「ソーシャルメディアの浸透で、個人であっても発信力を手にできるようになったのも大きいですね。世界に目を向けてニーズのある商品を作れば、買い手の幅も広がります」。うんうん。
このことは真実ですよん。さすがいいこと云いますなぁ。 RT@イチロー「失敗重ね、たまにうまくの繰り返し」 : スポーツ : YOMIURI ONLINE(読売新聞) yomiuri.co.jp/sports/mlb/new… … … #fb
■「そこに辿り着こうと焦ってはいけない。「そこ」などどこにもないのだから。本当にあるのは「ここ」だけ。今という時に留まれ。体験を慈しめ。一瞬一瞬の不思議に集中せよ。それは美しい風景の中を旅するようなもの。日没ばかり求めていては夜明けを見逃す。」【ブラックウルフ・ジョーンズの言葉】
いいなぁ、とてもいい言葉 RT@ネイティブアメリカンの名言 いい@Indianteachings 7分 ■「そこに辿り着こうと焦ってはいけない。「そこ」などどこにもないのだから。本当にあるのは「ここ」だけ。今という時に留まれ。体験を慈しめ。一瞬一瞬の不思議に集中せよ。#fb
小倉朗『日本の耳』での「間」の解説は表現よみの原理に応用できる。(1)「間」は「拍」と同様に予想されるもの、(2)「間」は「より長い時間のもとに成立する期待の感覚」、(3)もし「拍」を博動とすれば、「間」はより大形の呼吸の波――これらは、発声の姿勢、息遣い、声の緊張まで示唆する。