と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

Wordが難しくて、こまっちゃうなぁ、ジイジには・・・・トホホです

2015年08月17日 08時00分42秒 | 生涯学習ごっこで勘違い

 

Wordのことから、飛んで・飛んで・・・どこに行くのかジイジは

 

 

Wordというワープロを使い始めたのは、大学院博士後期課程に入学してからである。その大学がWord以外は受け付けてくれなかったからだ。レポートも、試験も、論文の経過報告も。

それまでは一太郎というのを愛用していた。縦書きが楽であるからだ。そう、私は縦書き分野そのものの国語人であるからであった。なにしろWordは、縦書きが苦手なようで、特に罫線処理が難しい。基本的な考え方が、どうもExcelのような表を基盤として開発されたようであると、あるサイトに書かれていた。昨日初めて知った。そういうことを。

それで、Wordの参考書でも買って勉強しなおしてみようと思ってAmazonでいろいろ検索してみたのである。

そしたらあった。

論文書き専門の参考書である。目的を一点に絞って書かれたWordの本である。さっそく注文した。二冊。今日には来るらしい。プライムなんとかというAmazonの会員になっているから発送が早い。ありがたいものである。しかも中古本でもそうだ。早いのである。

まだその本が来ていないから何とも言えないのだが、Wordは長文を記述するように開発されてきたらしい。そういうこともインターネットで初めて知った。

だから慣れというか、やってみたことが無いというのは恐ろしいことである。そう思う。どっかで経験してみないと「わからない」ということが、わからない。まったくである。

チャレンジしてみないとオノレのことがわからないのである。

論文・駄文書きをこれまで専らにしてきたが、あるいは生徒の前で話をしたりすることとか、スピーチ集という単行本に書かせていただいたりしてきた。教育誌にもずいぶん書かせていただいたっけ。

それもこれも全部一太郎で書いてきた。

その姿勢が、退学した大学院でもってひっくり返ってしまった。ありがたい経験であった。あれがないと、今でも一太郎でもってくだらない文章を書いていたのだろう。

もっともワープロの辞書だけはATOKを使っている。これは西洋ワープロには無い性能を持っている。なにしろこっちのジイジは古典系である。西洋ワープロの辞書は、古典系が苦手である。知らないのだ。単語を。マジに。まるで私の孫のようである(^0^)。あ、それを言うなら私のアタマのようだよ~ん。英語を筆頭に。

それに、もうこちらのジイジは時代遅れである。退学した大学院のクラスメイトたちもずいぶん活躍している。アメリカの大学に行ったり、なかなかである。凄いものである。マルチリンガルで、英語も日本語も、むろん母国語も全部できるんだから、どういうアタマをしているのだろうとずっと思ってきた。

ますますのご活躍を祈るしかない。

もう、こっちのジイジは、そういう他人のことをうらやむ時代は過ぎてしまった。過去のことである。

なにしろ相対化しようとしても、こっちの相手はじーさん、ばーさんしかいない。比較しようにも相手がいない。

若い方々と議論しても、なんだかかみ合わない。相手が遠慮しているのがよくわかる。柔道と一緒である。こっちがジイジだからと、手抜きをしている。マイッタね。

そういうのはホントによくわかる。

それなりの体験をしてきたからである。それなりに。

だから、自由自在に生きることにしている。しょうがないのである。もう、いくらあがいたところでジ・エンドである。

わははっはははっはははである。

「甲羅に似せて生きる」しかない。

学位という「甲羅」をほしがったのが、そもそもの間違いであったのかもしれない。だから、これからは高望みなんかしないことである。そもそもタダの田舎教師でしかなかったのだから。こっちは、庶民中の庶民であるからだ。そのあたりで、夕涼みしている長屋のご隠居でしかないではないか。まったく、まったく。真っ赤な嘘話でも書いている大新聞でも読みながら、夕方までじっとしているしかない。ふんふんと言いながら。

今更である。過ぎ去ったことは過ぎ去ったことである。取り戻しはできないのだ。

ただし、日常に埋没しないで、いきいきとして生きていきたい。死ぬまでは。

別に悟ったわけではないからだ。

全ての欲望を捨て、カネもメシも要らないという高邁なる境涯に至ったワケでは無いからだ。まだまだ未練がある。

恋愛以外は。

もうそういうのは不要である。もっとも相手からそれこそ相手にされないから考えるまでもない。だから恋愛小説が苦手なのだ。だから村上春樹のような小説が読めないのだ。もっとも、嫌いだと嫌いだと言っているわりには、108円で古本を買ってきて読んじゃっているのだが。

マーカーで汚くして。

ふん、こんな気取ったバカ・・・とか書きながら。

つまり、これもまたジェラシーの一種なのであろう。モテてモテてしょうがない登場人物のことが許せないのであろう。そういう体験がないからである。こっちは。

笑っちまうくらいにない。

お堅く、お堅く生きてしまったからである。あまりいい加減だと、追放されてしまうような職業にいたからである。

だから私の書くブログはおもしろくもなんともないのである。

性格が几帳面であるし、なにしろ真面目である(^0^)。これは自分でそう思うのだから、まず間違いはない。すくなくとも「その日ぐらし」ではない。蟻と一緒であった。毎日毎日一生懸命働いて、真面目に本を読み、数万枚にわたるB6情報カードをとり、ノートを書き留め、教育実践やゴミ論文を書いてきた。退職してからの大学院生活は、だからとても楽しかったのである。マジに。

これから、またどっかの大学院か大学に入り直して、またやるかもしれないケド。

もっともそれは宝クジでも当たらんことにはできないですなぁ。

ゼニがないから。

 

トホホ。

 

今日はWordのことからあちこちといろいろなことに飛んでしまった。(_ _ )/ハンセイ。(いつものことじゃねぇか?って言われそうだな)

 

じゃぁ~ねぇ~。

 

(^_^)ノ""""

 

 

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