と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

勉強も結婚も長続きしてこそである

2016年01月15日 08時37分28秒 | 生涯学習ごっこで勘違い

長続きすることのポイントは、デカルトに通じるかも

 

 

勉強というのは、長続きしてこそ勉強である。まったくそう思う。厭きたら捨てる、やらない、もう金輪際こんなのやるかと怒ってばかりいたら、おしまいである。

ちなみに、結婚生活と一緒である。

わははははっははっはははっはははっはは。

自戒して書いているんだが。

まったく、まったく。

もっともアレか。

結婚をしたことがない人にはわからないか。つまり、長続きしてこそ・・・というのがキーワードである。これである。これ。

さっきまで、NHKのラジオ英語講座を二本聞いていたから、そんなことを書きたくなったのだよーん。

マジに。

それを録音しながら聞いていたから、長続きもしているんだけど。録音している以上、また聞く。つまり、身の回りから離さないことである。ICレコーダーというのがあるからである。これがテレビ講座だと、持ち運びができない。だからいつでも身の回りにあるわけではない。

しかし、最近はKindleで実現可能になっているから、テレビの録画も楽しんでいるけど。

でも、映像はよくない。見入ってしまうからである。つまり「ながら視聴」ができない。それ一本になってしまうからだ。

こいつは二宮尊徳のような「ながら読書」の精神に反する。

毎日、毎日どうでもいいようなことばかり書いているなぁ。

他にやることもないからだが。

まったくまったく。

まだ社会に対して、興味があるからいいのか。これで。なんにも興味がなくなってしまったら、惚けるな。惚ける。

考えているというのでもない。さりとて感覚でもって書いているのでもない。さらに、見たままを書いているわけでもない。

もっともデカルトは、感覚も信用していないし、考えの方も信用していない。むしろ、入力よりも出力の方を信用している。「自分が考えている」という意識が最後に残ったというのが、正解であろう。

デカルトは、①なにかを考える、②考えることを意識する、③そこに実在感が生じる・・・という三題噺を主張したのだ。

それが惚け防止になるのだ。

プラス「わかった」という快感である。

わかったという経験は、さらに繰り返しを要求してくる。自分にである。だから、勉強するのである。わかったという快感をもう一度味わいたいからである。またまた同じ経験をしたくなるわけである。これが、学問と発見につながるのである。だから、学者という商売がなくならないのだ。

学者にはとうていなれそうもなかったが、こういう思考システムはわかるような気がする。

惚け防止のシステムというのも、これである。これ。

今日も天気がいい。

散歩日和である。

図書館にも行く。

Gymにも行く。

ヨルバイトにも行く。

塾である。

楽しみである。楽しみ。

他人にはどうでもいいことであろうけど。

私のことであるから。

じゃぁねぇ。

Bye-bye

 

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