話をすれば、自分が変わる。勉強するからである。
あらかじめ失敗を予測して、慎重に行動していると結局なんにもできないのではないのか。
そう思う時がある。
このことは、特に若い人への応援歌として申し上げたいくらいである。もっともあれか。拙ブログには若い人は来てくださらないか。当然であろう。タイトルがよくない。「おじ~いちゃん日記」であるからだ。タイトルだけで、スルーされちゃうだろうから。
(^0^)
しかし、あえて申し上げたい。
予測のつかないことにチャレンジすることによって、オノレのこころの中にある壁を乗り越えることができる。
怖じ気づくというのも無くなる。
やってみればいいのである。
誰かが、あ~たを必要としてくれていたら、積極的にやってみればいい。本当にそう思う。思うから、こうやって打鍵している。
チャンスを逃すことはない。
チャンスは向こうからやってくるのである。
チャンスがやってきたら、そこからおおいに勉強することである。勉強すれば、自分のものになる。財産になる。さらに発展していくのである。
このことは、実感している。定年退職してから、まさにその連続である。
去年、千葉市で鬼来迎の講演をさせていただいた時から、変化したように思う。二時間ほど講演させていただいたが、あれからずいぶん変わった。自分自身がである。
話をすれば、自分が変わる。
勉強するからである。
だから材料はなんでもいいから、興味のあるものを見つけて、継続していくことである。
継続しないと、ものにならない。
そして、継続している方々に学ぶことである。
「生涯学習」というキーワードでインターネットを検索すると、全国津々浦々に生涯学習をやっている先達、碩学がたくさんおられるのがわかる。
わかるから、それをお気に入りにしておいて、常にチェックしていくことである。それでもって、ずいぶん勉強になった。楽しんだ。
職業を持っていたときから、通信教育系大学・大学院で学んでいたから刺激にもなった。夏休みのスクーリングでも知人ができたからありがたいものであった。
だから母校がたくさんある。笑ってしまうほどである。
講演したときも、私の講師紹介で学部時代の母校を紹介していただいたが、話をしている間に訂正したっけ。それで、生涯学習のことに話題がそれてしまったけど。あれはあれで、聞いている方々には刺激になったらしい。
そんなもんである。そんなもん。
だいたいがありきたりの生き方をしてこなかったし。さらに、他人に自慢できるほどの学歴もないし、勉強もしてこなかったし。
所詮、素人の手慰みである。
(^_^)3 フムフム。
あ、だからいいんだろうな。
素人がこうやって打鍵しているから、ある一定の方々が来訪してくださるのだと思っている。むろん、拙ブログにである。
ありがたいことである。
Bye-bye