意味のない行動というのがある。確かにある。
しかし、すべて意味のある行動ばかりをやっているのかというと、実はそうでもない。無意味だなぁと思うこともあるからだ。釣りがそうだ。釣れるかどうかは運次第。あるいは魚ちゃんの気分次第である。釣れなくてもいい、時間がたてばそれでいいというのならわかる。それでもって一日が終わればそれでも良いだろう。
競ってばかりの人生も若いうちなら良いだろう。受験で鍛えられる部分もあるんだろうから。でも、人生そればかりではない。出世競争もそうかもしれない。でも、それって大いなる勘違いでもあるかもしれないではないか。
良い学校を出て、立派な職業について、おおいにゼニを儲ける。それで満足なら満足していればいいだけの話でしかない。自己満足の世界である。塾や家庭教師のバイトをしている身としては、そんなことをいっちゃぁならねぇのだろうが、ほんとにそう思う。苦学してやっとすっとこ三流大学しか行けないかったボキとしては、マジにそう思う。そんなボキでも、定年まで仕事をすることができた。だから、感謝しているのだし、レベルの低い「悪い学校」を出ても、ボキのようになんとか喰っていけるのである。事実、公務員になって、ボキのようにジジイになったら遊んでばかりいるジジイになりたいというのが、塾にもいたからである。笑ってしまうが。
なぜ、こんなブログを打鍵しているのかというと、「アウトプットのためになる」からである。アウトプットをしていると、これまで読んできた本とか、インプットしてきた情報が記憶に残るからである。
マジにそうなのだ。
ボキは、鈍才である。よって、なかなか記憶できない。英語の単語もなかなかアタマに入ってこない。だから、論文を書いたり、ブログの文章を打鍵したりしているのである。
昔から、書いて覚えるというタイプであった。サブノート学習専門であった。一時は、参考書をそのままダウンサイズしてみたこともあって、非効率だなと思ったこともあった。そして、母校の高校がかなりの進学校であったから、そこでとうとう挫折した。どこの大学にも行けないとはっきりわかった時点で、苦学を思い立ったのである。学費は自分で払うから、私立の三流大学を受験させてくれと亡父に言った。ようやく諦めてくれた。良い大学に行かせて、立派な職業に就かせたいと思っていたのだった。しかし、18歳でそんな人生は断念せざるを得なかった。アホだったからだ。
それから、怒濤のインプット時代が始まった。苦学生時代である。よく勉強したもんだった。なにしろ、テメエの稼ぎで大学に通うのである。もったいないではないか。
あの苦学生時代のインプットが、今になって役に立ったと思っている。今もインプットは続けている。しかし、アウトプットの方が時間的には多い。
なにしろ座りすぎて、エコノミークラス症候群になってしまったくらいであるから。
わははっはははっはははっはははっははっはははっははははっは。
要するに、アウトプットのためにブログをやっているというただそれだけの話ではある。
BYE-BYE!