失敗を怖れず、さらにそれを糧にして大きく育っている若い人を見かけることがある。塾や家庭教師や、通信制高校である。内容は明かせないが、たいしたものだと感じているからである。
絶対数は多くはないが、彼ら彼女らには大きな特徴がある。それは、一つの手法に凝り固まっていないという点である。たとえば、塾でも問題集を解いているだけというのは伸びない。教わっているだけというのも伸びない。工夫がないとアカンのである。自分で考えてみないと、解けるものも解けなくなっちまうのじゃよ。ノートの取り方もそうだ。問題集の答えをズラズラと書いてあるだけでは伸びない。
誤答したらそれは宝物なんである。間違ったからと言って消しゴムで消していたら、財産にはならないのだ。しつこいほどそれを訴えているのだが、ど~~~も中途半端な進学校の生徒にそういうのが多い。間違いを怖れているからである。
いいんだ、間違っても。
東大だって、80%正解すれば受かるのである。間違いがあってもいいんだよん。大学院に至っては、国立大学の博士コースでも試験科目がないのが多い。面接のみで、これまでの論文実績で判定されているしねぇ。
若い人々には、完璧主義者というのが確かにいる。だから、国家公務員のような極端なマニュアル主義者が出てくるのだ。考えないのである。解いていれば良いというような、問題集演習型と言ってもいい。解いた後の考える時間がない。元に戻って、知識の欠如部分を確認する時間もない。そういう時間をとっていないのだから、フィードバックができないわけである。
こんな人生つまらんではないか。言い過ぎかもしれないが。
オノレの工夫とか、発見とかあっても良いのである。
ボキは、そういうところに個性を見るのである。そういう個性の方が、大きな仕事を成し遂げる。他人と違った魅力を持つことができる。
なんの個性もなく、おもしろくもない決まり切った生活を送っていてもいいのだろうか。ボキなら耐えられない。だいいち、他人の目が気にならない。独立独歩。
勝手に生きているだけだと言われそうだが。
わははっははははっはははっはははっははははっはははっはははっは。
BYE-BYE!