と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

trainingもwalkingもなじんでくると飽きてくるようで・・・・トホホ

2015年12月20日 22時40分59秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

さっきまで年賀状を作っていたのだが、だんだん年賀状も飽きがきたのかなぁ・・・・

 

 

今日は、前の記事でも書いたようにめったにないことだが、他市町村に出かけたのである。

疲れてしまった。

ちょっと日常と違う体験をすると、いかなあふぉ~のとーま君でも疲れるらしい。新発見である。

さらに毎日ウオーキングをしているから、すっかりそういうペースに身体がなじんできたのだ。

そういうのを身体が記憶しているらしい。これも新発見である。第二の。

Gymでのトレーニングも内容が身体になじんでくると、ものたりなくなる。

だんだんとペースが上がってきている。これは要注意である。悪循環であるからだ。とうとう、マシーンではあるがベンチプレスまで始めてしまったのである。これでもって無酸素運動にのめりこんで、100キロあがったとかバカみたいに喜んでいたのだから、要注意だと思っているのだ。

なぜか?

ジジイのくせして、無理をしているからである。

バカだと思っていたらやっぱりバカだったよん。

救いようがないということだなぁ~。

そもそも救いようがなかったけどね。

だから文学にのめりこんだのだし。文学なんてやるんだったら、亡父にくたばってしめぇと言われたっけ。マジに。だから学費なんか出してやらねぇぞとも言われたっけなぁ。二葉亭四迷は、やはり父親にくたばってしめぇと言われたそうだが、彼は大物作家になった。こっちは、ただの庶民である。使えないぼんくらである。

わはははっはははっはっははは。

今年もいろいろあったような気がするが、全部忘れているし。

全部記憶の彼方に吹っ飛んでしまうんだろうなぁと思う。

それが私の運命であろうから。

運命というと、最近ある思想家にかなり興味を持った。今月に入って数冊読んだ。女性の思想家である。ちょっとここにはまだ書けない。

内容がよく理解できないからである。

そもそも先輩の方が紹介してくださった思想家であるが、どうもちょっとうさんくさい。だから、オノレなりに理解できるまでは、メモをとる程度で同じ著者が書いた他の本も漁っている。

そういう意味では慎重に読書しているのである。私は。

もともと乱読派なんだけど、理解するということでは慎重である。

ドストエフスキーだって、大学学部卒論であつかうと決めた時まで3年かかったし。

ドストエフスキーのキリスト教理解という問題で立ち往生したからであった。そこのところが理解できていないと書けないと思ったからである。当たり前である。学部の卒論といえども、基礎は大切であるからだ。

ましていわんや、文学博士となるとこりゃもうアカン。

オレごときがとれるものではない。はるか彼方のお宝でございますよん。

そんな大それた望みを持ってしまったことが、一番の試練であったのだ。しかも、いろいろな「気づき」もくれたけど。

自己嫌悪からの立ち直りというのも、その「気づき」の中にはあったなぁと思う。大学院博士課程を3年で退学した当初は、まさに自己嫌悪だった。健康を損ねてまで論文書きをしてなんの意味があったのだろうと、自己嫌悪に陥ったのであった。

しかし、あれもまた試練であったのだ。

しかも、私には良いときも、運の悪いときもあったのである。あるいは辛いなぁというときもあったのだ。

それでも、人生の一瞬一瞬をこんな大切なものはないといとおしむ想いが、これまで自分を支えてくれたのであったと思う。

光があれば闇がある。

そういうオノレ自身を受け入れるしかなかったのである。そういうことで苦しんできた若者達と一緒に学校で勉強したり、悩みを共有してきたのは、オノレ自身の成長のためでもあったのだ。

ジジイになって、またまた挫折したのも、「試練」であった。

あるいは、目に見えないものからの語りかけであったのかもしれない。

でも、バラバラであったものが、一つになった。

挫折も、苦しみも、なんでも全部数珠のようにひとかたまりとなっていたのだ。そして円になって、元に戻ってきたのである。

因果応報とはよくも言ったり。

ご縁がなかったといえばそうであろう。しかし、そのご縁をオノレ自身も作ろうとしなかったというのもある。

学問を徹底して追求できなかったのは、学問へのご縁をオノレ自身で断ち切ってきたからである。

これからでも遅くはない。

まだ、60代である。

見ためと、違っているのである。

私は。

わはははっははははっはははっははは。

 

これから大いに遊びながら、つまり趣味に生きながら、元気で、笑ってばかりいる老後を過ごしていくつもりである。

以上のようなことを年賀状に書いた。

明日、また年賀状の続きをやろうっと。

でないと正月に着かないから。

ちなみに私の年賀状は、カナダ・アメリカ旅行の写真と台湾少数民族見学した時の写真を貼ってある。カナダ・アメリカの方はナイアガラの滝の前で私が\(^_^)/をしているのである。

やっぱりバカだった。

しかも、できるだけ小さい字でこのブログのようなことを書いている。字数も年賀状の枠をはみ出している。

だから古女房ドノに叱られるわけである。

大切な親戚にはまちがってもこんなの出さないでね!と、きつく言われてしまったのである。

年賀状って、親しいから出すんだろうにねぇと思うのだが。

違うのかな?

よくわかんないけど。

 

 

じゃぁ22:38なので、寝ます。

 

(^_^)””””

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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