・吉川英治先生の「宮本武蔵」は、好きだった。これまで通算で3回読んだことがある。一回目は、小学校の6年生だった。好きで好きでたまらなかった。
・乱暴ものの新免武蔵が、関ヶ原の戦いに参加して、そこからある一つの道を求めていくのである。最初は何がなんだかわからない性急さで、道を求めていく。スタートは殺しの道であったのかもしれない。
・しかし、途中から人格的な陶冶の面を追求し出す。沢庵和尚だったかに、お城に閉じこめられて、書籍を読むようになる。
・そして変化する。
・あのあたりがたまらなく好きなのである。このような生き方をしてみたいと真剣に思っていた。考えればませた子供であったと思う。
・映画の影響もあった。映画の宮本武蔵には、中村錦之助とかが出ていた。ふるさとの赤湯温泉映画館で、湯治にきているじっちゃん・ばっちゃんとワイワイ言いながら真剣に見ていた。なんと言っても亡父が映画好きで、毎週土日はお手手をつないで見ていたのだった。
・だから大人の見る時代劇とかにずいぶん詳しいひねた小学生であった。むろん、月光仮面とかも見た。こっちは農村のどこにでもいる我が朋友である。否、朋友なんてガラではない。ただの洟垂れコゾーである。
・徒党を組んで、へいてい団とか名前までつけて、山を湖を、田圃を荒らし回っていたのだ。ドンは、ケンちゃんと言って頭が良かった。私の亡母が師範学校出の小学校教員で、ケンちゃんの母親も私の亡母の師範学校の先輩・後輩にあたるんで、ついつい親しくさせていただいたのだ。
・でもケンちゃんはどこかで猛烈に勉強もしていらっしゃったのである。常に成績は一番。たいしたもんである。私らと悪いことをしていても、出来るんである。こういうのを本当の秀才というのである。後に、KO大学という優秀な大学におすすみになられた。今、なにをしているかは知らない。
・話を、武蔵に戻そう。
・つまり少年社会環境において、私はタケゾーと言われた悪童時代の宮本武蔵とあまりかわらんかったからである。
・そして今日は「重大な発見」をしたのだ。
・それは「関ヶ原で負けた時、タケゾーは17歳であった」ということなのである。
・そういえばそうだった。確かに17歳であった。
・ところがだ。今、現代の17歳と言えば、なんたることか。
・まるっきりコドモではないか。
・私は、17歳のタケゾーはてっきり40歳くらいのあぶらののりきった確かな武術人みたいに思っていたからである。強いし、なにしろ生きる力がありすぎる。
・何を血迷っておるか!あれは単なる物語であって、そんなものを信じているバカがいるかとお叱りを受けそうである。
・でも、私は「物語」というものの持つ力を非常に信用している。
・だって、私の世代は似非マルクス主義者(自称も含む)がたくさんたくさんおられて、大学をロックアウトしたり、ヘルメットをかぶって、プチブルだとか、自己批判せよとか言っているエリートがたくさんいたんである。そして、大学の4年にでもなると、す~っと波が消えるように、髪を七三にわけ、きついにおいのマンダムらしきポマードをつけまくり、何食わぬ顔をして、一流企業にご就職されていったのだ。
・これを「物語」と言わずシテなんというのだろうか。
・甲子園で野球をやっている好ましい少年たちも自分なりの「物語」を作って登場してきている。これはこれで、楽しく好ましくこころから声援している。
・一生懸命という「物語」に私は弱いのである。感動してしまうのだ。
・話を再度元に戻そう。そうである。タケゾーの話であった。
・いきなりマンガの話になる。
・井上雄彦先生の「バガボンド」というマンガである。今日、ジムで読んでいた。例の古書店で105円。とてつもなくおもしろい。4冊買った。
・なぜか?
・コドモの武蔵が出てくるからである。しかも、すこぶる強い。身体的な能力に優れるばかりでなく、精神的な力もある。他者とコミュニケーションする力もある。戦場という全体の中で、自分の立ち位置を判断し、どう動けばいいか、どうやったら殺されずにすむかで動いている。これはたいしたもんである。
・切迫している中での成熟をせざるを得ないという状況である。早く成熟して大人にならないと生き残れないのだ。
・「早く大人になれ」と言いたいのだ。現代の17歳には。老成を拒否して、いつまでも若く見られたいというのではいかんぞな!と言いたい。
・漱石だって、正岡子規だってそうだ。豊かな教養を身につけ、あっという間にかなりの実績をあげていった。こいつはすごいことだ。
・中国には「石を枕とし、川の水で口をすすぐような暮らしをする」といった表現がある。のんびり暮らすといった意味合いのようである。でも、漱石はちょっとマチガイまして「今後は石で口を漱(すす)ぎ、川の水を枕として暮らしてまいります」って言っちゃった。漱石は、ものすごく頑固な人物だったんでしたなぁ。それで「いや私は間違ってなどおりません。石とは砂のことで、それで歯を漱ぎ、川の水で耳掃除をする。そんな暮らしがしたいと言ったまでです」という説もある。ホントかどうかは知らないが。
・漱石の年齢はとっくに私はすぎた。子規はもっともっと若かった。もったいない。無駄に生きている私は恥じなければならん。おっと、もっともこのお二人の大天才と比べるとはふてぶてしいと笑われるが。
・老けて見えるというのも悪くないもんである。悪くない。実にそう思う。理由は安全であるからである。もてないし、敵も作れない。もてないということは、無駄な銭も出ていかない。くだらないおしゃべりにもつきあわなくていい。さらに、演技でもいいから、弱そうにしていると実に助かる。実際助けてくださる方も多い。電車で席を譲っていただくし。それは尊い行為であるから、喜んで甘えさせていただく。実際は、スポーツジムでかなり鍛えているから座る必要がないのだけれども。人の好意は無にしてはならぬと思っているからである。
・実際私は、かなりのご老体に見えるらしい。(一度でも会った方は100%そうおっしゃる)
・義母が88歳である。義母と夫婦に間違えられることが多々あるからである。本当である。九十九里浜の造り酒屋に義母と買い物に行った時に、まごうことなくそう言われたのだ。もっとも義母が若く見えるのだろうということにしているが。
・柔弱こそ敵無しである。
・そういうことを今日は考えたのであった。
・また次回に!