と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

一喜一憂することなかれ

2018年11月25日 07時49分11秒 | 精神のありかた

いちいち一喜一憂していたら、たまったもんじゃない。

人間関係の破綻とか、他人と言い争いをしたとか生きているといろいろある。

もっとも、言い争いというのは家人と一番数多くやってきたか(^_^)。

家人とは、垣根がないからである。つまり遠慮がない。わかってくれるはずという甘えがあるからだ。言いたいことは言い放題。聞きたくないことは急性の難聴になってしまうのじゃよん。よくまぁ、これまでの言いたい放題を許してくださっていたもんである。感謝。

しかし、他人との関係でいちいち一喜一憂していたら、もっとたまったもんじゃない。

ただ黙ってじっと耐えるしかない。

そもそもがである。人間関係なんて「ゼロ」から出発しているだけではないか。全部他人である。ボキだってそうだ。他人でないのは、ボキと亡父亡母、そしてボキの子どもたちと孫だけである。

他人に囲まれて生きているのだ。

そして全部「ゼロの関係」である。

損得勘定で考えていれば、他人に腹も立たない。

待てよ、ここで怒鳴ったらマイナスになると思っていれば良いだけである。損得勘定から言ったら、これまでつきあってきた時間も無駄になる。経費もそうだ。さんざん宴会なんかで、人間関係構築のためと自称して飲み食いしてきたのだ。それがすっかりパーになっちまうではないか。もったいないというものである。

あまり経済関係の思考スタイルは好きではないのだが、人間関係に関しては、損得勘定は重要である。

そして「淡々と生きる」ことである。

つまり、「威張らない」ことである。さらにある。

ゼロからの出発である。

おとなしく生きているに限りますなぁ。

 

今日は天気が良い。

相変わらずなにもすることがない。

図書館でも行ってくるか。歩いて。

 

あ、小学館版の徒然草が昨日AMAZONから来たから、教材研究でもやるか。千葉市のアルバイトも残り4ヶ月である。もう一生涯声がかからないだろうから、思い切って良い授業をやってみたい。それだからである。冥土への土産話にちょうどよい。

ヾ(*´∀`*)ノ

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