いちいち一喜一憂していたら、たまったもんじゃない。
人間関係の破綻とか、他人と言い争いをしたとか生きているといろいろある。
もっとも、言い争いというのは家人と一番数多くやってきたか(^_^)。
家人とは、垣根がないからである。つまり遠慮がない。わかってくれるはずという甘えがあるからだ。言いたいことは言い放題。聞きたくないことは急性の難聴になってしまうのじゃよん。よくまぁ、これまでの言いたい放題を許してくださっていたもんである。感謝。
しかし、他人との関係でいちいち一喜一憂していたら、もっとたまったもんじゃない。
ただ黙ってじっと耐えるしかない。
そもそもがである。人間関係なんて「ゼロ」から出発しているだけではないか。全部他人である。ボキだってそうだ。他人でないのは、ボキと亡父亡母、そしてボキの子どもたちと孫だけである。
他人に囲まれて生きているのだ。
そして全部「ゼロの関係」である。
損得勘定で考えていれば、他人に腹も立たない。
待てよ、ここで怒鳴ったらマイナスになると思っていれば良いだけである。損得勘定から言ったら、これまでつきあってきた時間も無駄になる。経費もそうだ。さんざん宴会なんかで、人間関係構築のためと自称して飲み食いしてきたのだ。それがすっかりパーになっちまうではないか。もったいないというものである。
あまり経済関係の思考スタイルは好きではないのだが、人間関係に関しては、損得勘定は重要である。
そして「淡々と生きる」ことである。
つまり、「威張らない」ことである。さらにある。
ゼロからの出発である。
おとなしく生きているに限りますなぁ。
今日は天気が良い。
相変わらずなにもすることがない。
図書館でも行ってくるか。歩いて。
あ、小学館版の徒然草が昨日AMAZONから来たから、教材研究でもやるか。千葉市のアルバイトも残り4ヶ月である。もう一生涯声がかからないだろうから、思い切って良い授業をやってみたい。それだからである。冥土への土産話にちょうどよい。
ヾ(*´∀`*)ノ