高校卒業間近になって、ボキはどこの大学にも行けそうになかった。むろん、成績が良くなかったからである。要するにアホだったからである。勉強もできなかったからなぁ。
それに、親の理解もなかった。出来の悪い息子に絶望していたんだろう。せめて地元の国立大学に入ってセンセでもやってくれればと思っていたのだ、ボキの親は。ボキの高校は、地元の山形大学くらいなら、総計で七〇人は進学していたから可能だったのかもしれないけど。
亡母はなんにも言わなかったが、地元の国立大学の卒業生であったから、期待はしていたのだろう。
結果として、ボキは、どこの大学にも行けそうになかったから、唯一拾ってくれた五流大学に進学した。後にも先にもこれだけであった。なんと言っても、これしか受験していなかったのだから、受かったのはこれだけなのである(^_^)。
それしか合格できなかったからだ。よくまぁ合格できたものだった。冷や汗が出たものであった。滑り止めもできなかったし、今は母校となっている五流大学に感謝しているのだけれども。受験機会が一回だけというのもスリリングでたのしかったですよん。
さらに学費もなかった。入学金もなかった。
しょうがないから、日本経済新聞の新聞配達を選択した。いわゆる苦学生である。選ばざるを得なかったから選んだのである。
しかし、こいつがボキの前半生を決定的にした。
人生にシナリオがあると思ったのはこの時である。
思ったとおりにはならないのが人生のシナリオである。
選択の余地はなかったのである。
そうせざるを得なかったのである。
そして、そうせざるを得なかったことで、亡父・亡母から「独立心」を教えられたのである。これがありがたかったと思うのだ。
こいつは、生まれる前から決まっていたことなのだ。
シナリオは決まっていたのだ。
銭のかからない長男だから、亡父は喜んだ。亡父は、役場の職員をやっていたが、大学というものをまったく知らない。学費がどれくらいかかるかも知らなかった。亡母は知っていたが。
だから、まったく銭のかからない長男の進路選択を喜んだのである。
亡母は、そんなことをしたら、長男は家に帰ってこないと亡父を叱っていたが、結果的にはそうなった。
あのとき苦学をしようと決断したことが今を作ってくれている。
ありがたいものである。
人生の結果は他人(親も含む)に責任をおしつけるようなもんではなかったのだ。
自分で選んだのであるから。
ヾ(*´∀`*)ノ