退屈しているから、日々をなんとか愉快に明るく過ごしていきたいと思っているから、こんなアホなバカブログを書いていられるのである。バカは所詮バカである。治らないが・・・トホホ
決まり切った生活が嫌だとか、堅い仕事は自己実現のさまたげになるとか、もっと自分はアタシはフリーランスで生きていきたい、自由人でありたい、組織のしがらみにとらわれたくないという発言をたまに聞くことがある。
たしかに、話をしていても、決まり切ったワンパターンの話しかできない方々も多い。それはある意味仕方のないことである。仕事とか生活環境からの影響があるからだ。生育歴と言ってもいい。
だから退屈してしまうのである。そう、ボキのような人間みたいにである。ボキの書いているブログは、まさにワンパターンであり、堅い生活しか送ってこなかったから実に退屈千万、旗本退屈男である(なんのこっちゃ?)。
さらに退屈しているから、日々をなんとか愉快に明るく過ごしていきたいと思っているから、こんなアホなバカブログを書いていられるのである。バカは所詮バカである。治らないのである。それだけは確実に言うことができる。
しかしである。
周囲の高齢者と話をしていても、なかなかオノレのバカさ加減を自覚している方がいない。
むろん、ボキはそのことを指摘して注意をしてあげることはない。黙って見つめているだけである。今更、もう訂正できないではないか。今までの生き方を、あるいは性格を。そうやって選択してきた結果、今があるんだから。
ただ、他人の欠点指摘型の高齢者は、他人に「教えたがり症候群」の傾向があることは間違いない。ジジイや、ババアになって、急に教壇に立ちたがっている方々にお目にかかるからである。
中国語然り、学習塾然り、老人大学然り、老人クラブ然りである。他にもいっぱいあるだろう。
老人大学でも、コンピュータを教えてやるから、老人大学のコンピュータクラブに入らないかと言ってくださった方がいた。速攻で断った。なぜか。もうボキの場合は、アタマが腐っているからである。新しい知識は御免蒙りたいからである。
中国語然り。あまり話せないのに、初級コースのボキに教えてくださる方も多い。中国のことについても、大連ってどのあたりにあるんですかねぇ~?ってわざと質問すると、実におかしいくらいに教えてくださる。ありがたいではないか。ボキは、中国に一回しか行っていなのだから、よく知らないのであるから。マジに。
老人クラブでもそうだ。健康を害したから、宴会に行けない、だから退会したいと言ったらじゃぁ酒の飲み方を教えてやるからと言われた。これはボキだって他人に教えることができるほど、あびるほど飲んだからである。
わははっははっははっはははは。
人って、自分の得意な分野を指導したがるのである。それを確認するのも、また楽しみである。それにそういう方々を、言い方は悪いが、良い意味で利用させていただくのも老後のタノシミであるからで。
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でも、あれか。
退職後に、現役時代の職場に出かけていく輩もそうか。後輩の現役世代に、あれこれとアドバイスをしているつもりで、既に時代遅れになっていることにも気がつかないで、でたらめ体験談を後輩達に指導してオノレだけ得意がっているのが今までいたからである。ボキはそんなこたぁ絶対しない。当たり前である。
そういうのを、「老醜をさらす」というのである。
老醜というのは、「老い」と「醜さ」という字から成り立っている。そうなのである。老いは避けられない。時間が老いをさらに老いへ追い込んでいくのだ。これは否定しても否定できない。誰だって、ジジイやババアになっていくのである。アンチ・エイジングというのがあるが、結局無駄である。誰だって老いるのである。そして、誰だって死んでしまうのだ。
醜さということは避けることができる。
これは意志の問題とからむ。しかも密接にからむ。他人にしてほしくないことは、他人にもやらないことである。これが基本だろう。後輩にいろいろと指摘していたら、後輩が嫌がっているのがわからなくなる。そういうジジイやババアになっちゃいけない。
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今日は、東洋一の巨大病院で再検査である。今回は、二ヶ月ぶりになる。
だんだん行かなくてもいいようになりたいもんだが、無理だな。無理。
一病息災というのがあるが、今までが今までだったから、病気になったのだ。油断である。そうなのだ。薬一粒すら飲んだことがなかったのが、今ではたくさん飲まされているからで。
年齢相応になっちまったのだよん。
さ、これにてそろそろ巨大病院に行ってまいります。
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