毎日毎日楽しいですなぁ。相撲も始まったしねぇ。
相撲好きな女性をスー女(スージョ)とか言うそうな。だったら、ボキはスージジとでも言うのだろうか。まさか。
相撲が始まったから、毎日が実に楽しい。むろんボキにも好きな力士はいる。稀勢の里である。ところがだ。もう8場所連続で休場している。残念でならない。
胸の筋肉を痛めた。それが8場所も続くというのでは、あきらかになんらかの異常事態が起きたのだ。こんなに長く続くということは、ダメージがあるのだ。
かわいそうである。
ケガも力士の勲章だという見方もあるだろう。しかし、それでも長い。長すぎる。期間がである。
これを人間関係に置き換えてみれば、よく分かる。長い期間にわたって異常事態が起きていて、それを修復できないとなれば、それはもう終わった人間関係なのである。
あくまでも修復できないというかぎりにおいてはである。
嫁と姑の関係もこれだろう。長い間トラブっていて、嫁と姑の人間関係が破綻していたら、そしてそれが修復できな状態になっていたらすっぱりと諦めることである。
もう終わった人間関係なのである。
取り返しのつかないこともお互い言い合ってしまったこともあるのだろうから。
それほど言葉は重要である。
言ってシマッタ以上取り返しはつかないのである。
それほど言葉は重要だということである。
だから、よく考えてから発言することである。思いつきでヘラヘラくっちゃべって、トラブっていたらアカンのだ。
それほど、嫁と姑というのは昔から、修復不可能な人間関係の代表なんだけどねぇ。
ボキンチは、それがない。
なぜなら同居するつもりは、お互いまったくないからだ。つまりボキ等夫婦に嫁という意識がないからだ。長男の連れ合いという意識はある。でも、同居したらいろんなトラブルが予想される。だったら、スープのさめない距離で別の家に住んだ方が良い。
土地も買ってある。しかも、ボキ等夫婦はローンもまったくない。
欲しいものはまったくない。クルマも今のクルマが生涯最後である。免許証も返納するつもりである。
墓地も買ったし、準備万端整っているのだ。
あとは、可能なかぎり長生きをして周囲に迷惑をかけまくって死ぬつもりである。
わははっはははっははっははははははははははっは。
今朝も4時30分に起きてウオーキングをやってきた。今日は副業で行っている某大学で授業があったからだ。13:23である。さっき帰ってきておいしく昼食をいただいた。
もっとも途中古文書講座の資料をいただいてきたけど。そうなのである。通信制高校の授業と重なってしまったからである。行けなくなってしまったのだ。もっとも、8月からは古文書講座には行くつもりではあるが。
夜も学習塾がある。こっちも楽しみである。若い人と接しているとジジイがだんだん若返りそうだからである。マサカ・・・(⌒▽⌒)
ヾ(@⌒―⌒@)ノ