途中にステップをもうけない。あの山に登りたいから、すこしゆるやかなこっちの山に登ってちょっとトレーニングをしてからにするというのはやらない。いきなり山に行ってしまえば良し。躊躇するこたぁねぇのである。
小説家になりたかったら、書けば良い。カメラマンになりたかったら撮れば良い。
ともかくやってみることだ。やってみなくちゃ話にならない。それをである。グダグダと、もしダメだったらどうしようと思うから実践ができなくなる。ダメだったら、ダメになってしまった理由がよくわかるようになる。それが財産になる。
ボキが良い例である。ダメの連続であったからだ。挫折の連続。だから、挫折している若いひとたちと話ができるのだ。
そういうスタンスにあるから、けっこうジジイでも人気がある(^_^)。このことはボキが言っているのではない。周囲のセンセ方が言っているのである。そりゃぁそれでいい。そんなもん相手が決めることだから。
で、「決してワタシたちの欠点を言わない」「悪口を言わない」「褒めてくれる。褒めてばかりいる」とも言われる。18歳の女子たちにである。これは事実そうしているから、ホントである。そりゃそうだ。こっちは、挫折ばかりしてきたから経験豊富である。それが若い人たちに元気を提供していることは認める。そうでなくちゃいけないのだ。我々年長者は。
それをである。文句ばかり言っている。他人の悪口ばかり言っている。欠点指摘ばかりやっている。オノレの能力がいかに優秀かとウソばっかり言っている。
こういう研究者とか学者様のようなていたらくをやっていちゃいけない。
第一、人生がおもしろくないではないか。
全部計算通りに人生がいくわけもないのである。計算通りだとおもしろくもなんともない。挫折もまた良し。
博士論文を書いてみたが、ものにならなかった。これもまた良し。いきなり論文を書いてみたが、学力劣等だったということを忘れていたからだ。それならそれで良し。実に鍛えられた。ありがたい限りであった。
これまたチャレンジの一環であった。
それ以来、ボサーッとして生きている。ボサーッと生きているから菩薩のようである(^_^)。
さらに、あまりも暇なので副業三昧でやっている。「亭主元気で留守がいい」である。さらに、海外旅行三昧である。実に快適に老後を送っている。
ステップもなにもないからだ。
やってみたいことには、いきなりチャレンジしてみるこってすよん。
さ、これから人間ドックに行ってくる。楽しみである。結果が。今朝も快調。またまた趣味三昧で生きていきたいからである。
チャレンジ、チャレンジである。
ヾ(*´∀`*)ノ