多くのことを勉強している方というのは、傲慢になる傾向がある。それは、生涯学習者にありがちな傾向であるようだ。ようだというのは、むろん全部が全部そうだとは言えないからで。
いろんな講演会やセミナーに参加して、ノートもきっちりととっている方もお見かけする。むろんボキも参加しているからだ。もっとも、ボキはたまにしか参加しないが。
多くのことを勉強なさるのは、おおいに結構なことである。惚け防止にもなる。それで定年退職後に某大学大学院に入学した。修士は退職までに別の大学院で取得していたから、博士課程に行った。
しかし、実践が伴わなかった。日中比較文化を標榜している以上、中国語が堪能でなければ博士論文を提出してはいけなかったのである。中国語マスターを実践しなかったから提出資格がなかったのだ。今ではその仕組みがよくわかっている。しかし、夏目漱石は笑っているだろうなぁ。そんなもんを速攻で、躊躇なく断ったのだから(^_^)。
要するに、ボキは器がチイセェのだよ。「ただのと~ま君で生きていきたい」となぜ思わなかったのであろうかと慚愧の思いである。
ズレているのだ。知と実践が。あ、もっともボキは知もねぇか。知識もないのだ。むろん実践もない。「ただのと~ま君」である。
でも、これが重要なのである。ただの庶民。それを徹底してやるこった。
今年一年、それだけを追求してきたような気がする。
受容するということだった。この一年間で気がついたことは。
それにしてもおぞましい過去だった。博士になりたかったというのは、笑止千万。まったく救われない。
もっとも救われるわけもないけど。悪行三昧の悪党だから。ボキは。否、ボキだけでは無い。いろんな悪党が世間にはたくさんいるけどねぇ。
わはっははっはっはっははっはははっははっっはははっはははっははは。
ヾ(*´∀`*)ノ