と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

今朝の千葉日報に出ていた。コロナで長期休業になってしまった学校に通えなくなるこどもたちが出てくるというのである。

2020年06月09日 07時02分34秒 | 教師の流儀
人間には立場というモノがある。そして、それは大抵一つしか無いものであろう。バイトなら一つとは限らない。複数ある場合がある。これはボキもおおいに当てはまる。たこつぼで満足できないからだ。もっとも、だからモノにならなかったのだろう(^_^)。

しかし、こういうボキのようなジジイのあり方が理解できないという若い男女もかなり多い。不思議がられる。ただの飽きっぽいジジイと思われているのかもしれないが。

そんなことはどうでも良い。どう思われるかなんてぇことは、関心がないからだ。それにこっちには地位も名誉もゼニもない。あるのは、ダメジジイという勲章だけだ。

したがって、おとなしくない。いわゆる減らず口をたたく。大きなツラをしているのだよん。これだもの、嫌われるわけじゃ。特におなごじゃよ。アホなおなごとはクチもききたくないからだ。ミンナ芝居をしているだけだからだ。おとなしいふりをして、弱いふりをしている。もっと救いようが無いのは、そういうおなごにだまされて、守ってあげると勘違いしているもっともっとアホなおとこたちである。

鹿児島に行ったときの単独出張だった。もっと詳しく言えば、ある任意団体の全国大会があって、宮崎に泊まった。出張とは言えないな。私費での参加だったから。終わったので、鹿児島に行ったのだ。そして、駅前で泊まった。そのときである。あきらかに不倫とおぼしき中年の男女がロビーに降りてきた。おなごの方はこそこそしていた。笑った。鹿児島県人は、こういう密会みたいなことはやらねぇだろうと思っていたからだ。西郷さんが嘆きますよん。そう勘違いしていたからである。しかし、どこも変わらなかったのだ。

だから井原西鶴とか小説とかエログロ映画とか流行するんだろう。それなりの需要があるからだ。なんでもそうだ。需要と供給があるから世の中成り立っておるんじゃよ。

で、サイゴッペ。

今朝の千葉日報に出ていた。コロナで長期休業になってしまった学校に通えなくなるこどもたちが出てくるというのである。学びの場は、いくらでもあると。フリースクールを候補の第一に上げていたが、さもありなん。もしかしたら、コロナは学校教育の本質をえぐり出してしまったのではないのかと。これ、教育現場でえりーと面しているセンコーたちはどう思うのかねぇ。是非聞いてみたいことである。

わははっはははっはははっははっははっはははっははっはははっは。

BYE-BYE!
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