と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

フラフラとリハビリしていた、入浴三昧 こんなジジイの余生の送り方でいいのかねぇ

2022年12月14日 19時11分39秒 | 闘病記
午前10時から入浴開始。あったまってきた。入院中は夢にまでみた入浴である。それでなくても温泉町で育ったボキである。大好きなのは言うまでもない。

同好の士がいた。ざっと10人。

リラックスしてきた。もういいではないか。あくせくとして働いてきたんじゃ。じじいになっても働いてきたがこれで良し。貧乏なのはかわらないけど、自己満足で生きているしねぇ。あせるこたぁない、何一つない。

塾も今日から再開してきた。根っからのセンコーだよん。

タノシミで働いているんだから手がつけられないバカだよん。

風呂は明日も行く。別の風呂に行く。クルマが自由になったから、フラフラと行く。

実際、これが一番のリハビリになっているんじゃないかと思う。

しあわせなジジイでございます。

 
あ、そうだ。海外にも行きたい。(^-^)/
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あったまりたい 出掛けるつもりなり やっとクルマで

2022年12月13日 09時01分09秒 | 闘病記
お風呂に行きたい。入院中ずっと思っていたのだ。九十九里浜には温泉らしきものがたくさんあるからだ。鉱泉を温泉と自称しているのもあるが、そんなことはどうでもいい。

要するにリラックスしたいというわけだ。あったまって、ゆったり過ごす。それには足が無ければできなかった。それも昨日で解消した。免許センターから許可をいただいたからだ。

脳に症状を抱えるとこんなにうるさくなるとは、思ってもみなかった。そりゃそうだろう。事故が怖いからだ。無事故でずっと過ごしてきたから余計である。愛車を今日は動かす。久しぶりだ。入院中長男が動かしてくれていたが。運転者限定を解除したから。

厳しいリハビリに耐えたから可能になったのだなぁとしみじみ思う。

歩きたいという願いはあったから。昨日の免許センターでも係に言われた。当たり前に歩けるようになった、と。

リハビリ病院にお世話になったからだなぁ。ありがたいよん。

もっとも一年したらまた診断書必要だけど。それがいい。ほっとくのが一番よくないからなぁ。

じゃ、また!

BYE-BYE!
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運転免許センターへいっていた 診断書提出完了 晴れて今夜から運転できる

2022年12月12日 17時51分01秒 | 闘病記
朝一番に運転免許センターへ電話。予約の電話。診断書提出のため。午後2時30分。

それから電車に乗った。幕張本郷まで。40代半ばにこの土地に通っていたからなぁ。30年近い歳月が流れていたヨン。

合格。晴れて運転できる。うれしいこと限りなし。

明日から運転することにしたが。居住地に帰ってきたら真っ暗になっていたから。駅に着いたら。朝は駅まで歩いていったが、帰りは糟糠の妻さまがクルマで迎えにきてくださった。ありがてぇよ。

保険会社にも電話したし、これでOK。

それからバイト先の塾にも。今週の水曜日から小学生をやることにした。

身体と精神のトレーニングである。

完全に復帰したなぁ。

明日はジムに行く。今までサボっていたから。

それとブックオフにも行く。参考書を買ってきたい。算数とか理科を。古本で十分じゃから。

それにしてもタノシミだなぁ。

根っからのセンコーだよん。

ボキは。

ああああああああああああああああああ!ウレシイ!
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日常的なことから一日生活開始だった これがどんなにありがたいことだったか

2022年12月12日 07時00分48秒 | 闘病記
足がないので弁当も買いに行けない。で、女房のクルマに乗せられてショッピングセンターに行った。店内をウロウロ歩き回っていたら、背後からじ~じぃと呼ぶ声がした。5歳の孫だった。女児である。

ハグしてくれた。嬉しかった。元気~~と聞いてきた。ずっといなかったから忘れられているだろうと思ったら、そうでもなかった。

そんなことが何より嬉しい。

昨日もそんなわけで、日常的なことから生活開始。午後からは、このかわいい孫を預かった。これまたタノシイひととき。動画で漫画を見て、昼寝させようとしたら寝ない。ずっと起きていた。いつのまにか、昼食後眠くなったボキの方が昼寝してたよん。

リハビリのつもりで、このブログを打鍵している。病気になった最初は、キーボードを打つことができなかったからだ。幸い軽症だったから、こうやって打鍵してられる。

それにしても修士課程をこの三月に卒業しておいて良かった。今ならできない。論文が書けなかった。指が言うことを聞いてくれなかった。

仏教学という特殊な分野で、しかも中国仏教の影響を郷土史の分野に関連させて書いたものだった。純粋の信仰ではない。

今日は幕張の免許センターに電車で行きたい。電話で予約しなければならんけど。クルマに乗りてぇからなぁ。


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金曜日は第二の病院に行っていた 献身的な方々にお会いした 感謝

2022年12月11日 06時44分05秒 | 闘病記
一昨日の金曜日に入院していた第二の病院に行っていたので、帰りが遅くなった。運転免許の診断書をもらいにいっていた。これで晴れて運転ができる。注意して運転するつもりだ。なにしろ田舎なので、足がなければどこにも出掛けられない。不便なもんじゃ。これで400CCの自動二輪にも乗っていたんだから、信じられない。

受付にクルマ椅子を押していた介護福祉の方がいた。患者さんの公衆電話の料金両替を補助していた。ボキもこの方にはお世話になった。冗談も言えるような方だった。いつも思うが本当に献身である。損得じゃない行動をしておられる。ここが大事なんである。

もっと大事なのは糟糠の妻である。

メリットだけで動いているのではないからである。デメリットばかりだろうから。年金しか収入のないボキのようなダメジジイを世話してくださっているからである。今回の入院でしみじみわかった。頼るのは糟糠の妻である。それしかいない。

逆にボキはどうだったろうか。優しさと思いやりの行動をとっていただろうか。考えているのは全部テメェのことばかり、だった。(_ _ )/ハンセイ

まったくどうしようもない。

今日一日くらいは、周囲に迷惑かけないで行こうと思っていますぜ。

まったく、まったく。

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人間ドックだった タノシカッタよ なんでもなかったけど 幸い

2022年12月09日 06時29分45秒 | 闘病記
昨日は一日地域の巨大病院にいた。人間ドックだった。八月の入院前から予約していたからである。今じゃ、この巨大病院は地域のブランド病院になっていると聞いた。第二のリハビリ病院ではこの巨大病院の医師の腕は良くないとも聞いた。隣県の患者仲間からである。医師は腕ではない、病院の施設設備で医師はどれだけそれを活用できるかだとボキは思っているので即座に否定した。信用度の問題である。

死ぬほど飲酒していて、糖尿が治らないとうそぶいているようなもんだ。

昨日は胃カメラが実に上手だった。なんともなかった。何回やったか記憶にないほどやってきた。

再検査もあるだろうから、またお世話になるけど。その時はその時。

それより、今日は入院していた第二の病院に行ってくる。運転免許の許可が出るからである。あああああああああ、やっとこれで自由が復活する。塾にも行ける。コンビニすら歩いていくしかなかったからねぇ。

別になんも買うものなかったけど。

気晴らしにはなったからなぁ。

それにつけてもやることがねぇってことはサミシイもんじゃ。

それもこれもずっと長生きできるからという思い込みがあったからじゃ。

そんなもん幻想だったヨン。

人間いつ死んじまうかわからんからなぁ。マジにクワバラである。

BYE-BYE!
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それでもなお、希望だけはうしないたくねぇ そう思っていたから生還できたんだ

2022年12月08日 06時58分20秒 | 闘病記
入院していた時は、孤独ということをしみじみと感じていた。当たりまえである。友人知人もいない。入院ということをきっかけにある一定の期間を縛られているのだから。

絶対直すぞという希望がなくちゃ、あんなもんやってられない。だから、積極的に話しかけた。ナースや理学療法士、介護福祉士などの方々に。他の患者さんにも。うるさい患者だったろうに。感謝しているけど。

ラジオが友人の代わりをやってくれていた。スマホのアプリである。便利なものだった。

リハビリがあるから、気晴らしにはなっていたんだろうけど。まったくこれが無かったら、精神的に病んだ。リハビリの先生方はそのあたりを理解されていたのだろう。会話に応じてくれた。ありがたかった。

面倒くさいジジイだったろうに。申し訳なかった。

で、孤独ということからもっと考えたことは、寂寥ということだった。現役時代はまったく考えなかったことである。つまり、死んじゃうということが現実の問題としてせまってきたということである。

家族とも、友人知人とも別れなければならない。

こんなサミシイことがあろうか。

入院していれば当然迫ってくるのだ。

アウシュビッツで生き残った御仁の作品を思い出していた。明日生きていられるかわからない。いつ死刑になるかわからない。それでも希望を失わないヒトだけが生き残った。ラジオで知った。感動した。勉強になった。

ボキはサミシイ老後だけど、それでも希望だけはうしないたくねぇと思った次第である。

BYE-BYE!
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人生30年周期説がいちばん腑に落ちる

2022年12月07日 07時36分40秒 | 闘病記
人生100年時代と言われるが、まだまだである。むしろ人生30年周期である。

入院して思ったが、70のハナタレ小僧のボキより若い方が入院しておられたのだ。リハビリ専門病院だから症状は様々であったろう。しかし、どうみても若い。仲良くなったヒトは68歳だった。いろいろ語りあったが、奇妙な友情ができていた。彼氏はクルマが大好きで、運転免許を再取得したいと言っていて、院内試験をくぐり抜けていたボキを激励してくれた。

院内試験は八種類ぐらいはあった。難しくてねぇ。(*_*) マイッタ
数字並べなんかやったこともなかったから、アプリをダウンロードして技術を磨いた。脳トレと一緒だ。

ボキは、肝心の教習所試験で一回落選したけどねぇ。二回目は当選。まだ、幕張免許センターに行ってないけど。

で、思った。

最初の30年はガッコに行って就職まで。そして結婚。子育て。

それが定年の60まで続いた。

還暦から古稀、それから死ぬまでが最終章。これをどう過ごすか。大きな課題をいただいた。それにボキが最初にくたばるとはかぎらない。糟糠の妻が残るだろうとは今も思っているが、逆の可能性もあるからなぁ。ボキが残ってしまう可能性もある。

そりゃ悲劇じゃ。

シニタクネェ。

それが結論じゃよ。

BYE-BYE!

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シニアはおむつの使い方を自習しておくべし これまで他人任せはいかがなものかと

2022年12月06日 18時46分17秒 | 闘病記
ヒトは赤ちゃん時代はおむつの世話になったかもしれない。しかしシニアとなるとなかなか体験できないことであった。いきなり入院でとまどったからである。入院は当然おむつの世話になるからだ。

最初に入院した巨大病院ではまったく何の準備もなかったから、やり方がわからん。ウンチやおしっこの処理方法がである。

ボキは、入院したその日から自習した。スマホの動画サイトである。これは使えると思った。それでスマホの契約を3ギガから15ギガまでアップした。サミシイ入院生活もこれで大丈夫だと思ったからである。家族との連絡はLineで十分であったからである。

第二の病院でも自習の効果はあった。特にトイレの処理は教えてくれないから、自習するしかないからだ。聞けば、ナースの方々は親切に教えてくれがねぇ。

でもおむつの使い方は知らなかった。ほとんど自習したからである。

お世話になったということは、このことである。

トイレも汚したことだろうに。

マジに、自習しておくべきである。経験上。

下手なプライドなんか捨ててしまえ!ということである。

だから威張っちゃダメなんである。

医者だっておむつの世話になることもあるのだ。鎌田実センセの体験記が読売新聞に出ていたが、自分の病院でウンチの世話をしてくださったナースの行動に感動していたからだ。その記事もスマホに写してある。

鎌田實さんと心房細動<1>オムツに「老いるショック」だけどだけど。

良い勉強になったヨン。

二度と入院したくねぇけど。

(-_-)zzz

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ナース、介護福祉士、理学療法士の方々に今こそ質問したい。

2022年12月06日 09時35分19秒 | 闘病記
世の中の多くのナース、介護福祉士、理学療法士の方々に今こそ質問したい。お世話になったからこそ思うのだが、腹の立つ患者もいるだろうということである。しかし、そんな低レベルの感情はいっさいださない。なぜだ?ということである。ボキのような中途半端な人間とは出来が違うということなのだろうか。

なぜそういう思考方法になるのだろうか。

不思議でならない。おかげで人間の出来損ないのボキは(_ _ )/ハンセイばかりだった。家に帰ってもあいかわらず、糟糠の妻に怒られてばかりだからだ。今朝まで便秘で苦しんでいたが、昨夜第二の病院でもらった薬を呑んだらぴたりと治った。ただし、トイレを汚した。糟糠の妻は怒っていた。面倒見切れないというわけである。怒られているから、こっちもついつい大きな声をだす。それを威張っているという。

アカン。

威張っちゃいけねぇ。そんなつもりはまったくないんだが、ついつい本性がでてまう。

クルマも運転できないし、欲求不満がたまっているんかねぇと感じる。病院の許可と運転免許センターの許可が無いと、運転できないのだ。脳の病気だからナァ。

それにつけても、ナースや介護福祉士、理学療法士の先生方はエライ。

ヒトを説教しないからなぁ。

ありがてぇよん。マジに。

BYE-BYE!
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朝は6時前にはおきていた みんな早起きだった

2022年12月05日 05時55分09秒 | 闘病記
5:56である。この間退院したリハビリ病院では必ず起床していた。体温と血圧を測っていた。それから早起きの方々と新聞をみていた。ホールで。

ナースと介護士の方々はもっと早く起きていた。仕事をしていた。アタマが下がった。

理学療法士は、朝の打ちあわせがおわってから担当の患者さんに1日のスケジュールをメモにして来られる。時間と担当者が書いてあった。最低3コマはある。タノシミだった。追々とその内容は書かせていただくが、退屈な入院生活の中で生き甲斐だった。

朝起きグループは固定化されていった。友人もできた。車いすで移動しているヒトがほとんどであった。ボキは歩けた。廊下を飛ぶように歩いていた。なにしろ寝てられないのである。運動のタメもある。水を飲み、朝の排便に備えていた。順調だった。

今は、NHKの英会話を聞いている。やっと元に戻った。

ありがたいよん。

BYE-BYE!
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45歳で死去した緩和ケア医『がんと闘いながら亡くなる1か月前まで患者に寄り添う』...看取った母が 「わかった」患者家族の気持ち 緩和ケア医親子の2年間(2022年10月13日)

2022年12月05日 05時35分09秒 | 闘病記
45歳で死去した緩和ケア医『がんと闘いながら亡くなる1か月前まで患者に寄り添う』...看取った母が 「わかった」患者家族の気持ち 緩和ケア医親子の2年間(2022年10月13日)
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ナースの人間関係構築法に感服しました 特にわがままし放題の患者に対して

2022年12月04日 07時12分06秒 | 闘病記
ナースにはお世話になった。そしてその献身ぶりにはまったく感動していた。これはまさに体験しなくちゃわからない。患者だってわがままし放題。やること言うことメチャクチャ。この4ヶ月そういういけない患者だったのだから。

もしナースがいなかったら、ボキはこんなに早く退院できなかっただろう。リハビリ専門病院というのは長いからだ。なかなか治らないからだ。薬を呑んでじっとしているしかない。

そういうときに精神を病む患者が出てくる。いくつか散見していた。詳しくは書けない。ボキは軽度の脳出血だったから、院内を自主トレと称シテ歩き回ってばかりいたが、いろんな事例を見てきた。鬱だったと思われる患者がいたからである。

社会に出たら(戻ったら)それなりの地位にあるのだろうが、弱いヒトもいた。部屋の中で携帯をつかって泣き言を言っている患者もいた。オレはわるいところは無いと言っているのである。したがって、ボキはイヤホンを手放すことがなかった。

十中八九そういうエライヒトは威張るのである。そりゃカネはあるんだろうが、一般に威張る経験をしたことが無い人ほど威張る。しかもそれを他の患者に押しつける。ナースにも押しつける。

ボキは、入院した時からセンセと言うのは止めてくれと言っていた。冗談じゃねぇ、と思っていたからである。政治家をはじめとして、センセと呼ばれる方々ほど裏は禄でもないからだ。もっともボキも他人のことは言えないがねぇ。

ともかくナースのすばらしさだけが体感できたよ。

ありがたいこと限りなし。

感謝
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死と生 渡辺徹氏の訃報に接して考えることは多かった

2022年12月03日 07時22分24秒 | 闘病記
渡辺徹氏が亡くなった。61歳だった。ネットでは敗血症と書かれていた。よくわかっていないのだろう。入院後8日くらいで亡くなった。もったいない。残念だったろうに。夫人の榊原郁恵さんがどんなに嘆いているだろうかと思うとかわいそうでならない。

入院したことがある人は、わかるだろう。時間というものの大切さが。

病気と現在の生命とその継続性が。

ボキは、入院してずっとそのことを考えていた。一見明るく病室では振る舞っていたけど、ずっと考えていたのは死と生である。死生学のことである。修士人間学のときにずいぶん考えさせられた。師匠がご主人を亡くされていて、しかも自殺だった。何度も師匠とは酒席をともにして、かなり影響された。

それから現在のボキがある。そしてまだ生きている。老年学という学問もやらせていただいたが、生涯の至宝である。ありがたいもんじゃよ。

医師は現在の患者のことしかみないが、ボキは反対だった。いかに死すか。そして、生きるか。

これが救いだったような気がする。

この一瞬を生きる。これしかない。今年行く予定だったポルトガルのアウシュビッツ。そこでそれを考えてきたかった。マジに。

BYE-BYE!





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断酒の連続 退院以後忘れちまったアルコール

2022年12月02日 06時13分18秒 | 闘病記
断酒会の方々からみたら笑止千万だろうけど、8月の1日からずっと断酒している。怖くて呑めないからだ。あんな辛い日々をおくるなら、酒は呑まないほうがいい。体調もかなりいい。なにしろ脳の病気である。他とはワケが違う。治ったとは言っても再発があるかもしれないではないか。

まだまだ生きたいからだ。

シニタクネェのだ。悟ったようなことを言う気もないが、生きていたいのである。

まさかこの年で死と直面するとは思ってもみなかった。体重管理と血圧管理&監視である。

これからは趣味で生きる。温泉と山。そしてセンコー稼業。昨日塾もクビがつながった。正直に病状を説明してきた。今日は算数の参考書がAmazonから送られてくる。アタマの活性化である。鶴亀算とかやるつもりである。

英語はこれからNHKでやる。これまたアタマの活性化である。

それよりなにより昨日嬉しいお知らせがあった。小学校4年から教えていた男子がアル学校に合格した。嬉しかった。詳しいことは書けないが、こういうのが喜びである。

ありがたいよ。

センコー稼業も断酒も止められねぇヨン!


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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/