ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

120108:7日夜は「鬼すべ」、8日は新年写経会(武蔵寺)

2012年01月08日 | 趣味と交遊

昨晩は太宰府天満宮の厄払い伝統行事「鬼すべ」(平安時代の986年に始まったとされる)にでかける。去年も21時ごろ立ち寄ったがすでに会場はいっぱいでろくな写真しかとれず、今年はまんを持して19時過ぎでかけたが、その前に行われていた「うそ替え」神事を観たりして、20時20分ごろ、鬼すべ堂に上がって行ったらなんとすでに、観衆が占拠、写真をとれそうなポジションはすでにない。なんとどじなことか。20センチちょっとのミニ脚立を持っていたが頭一つでるものの、前の観客が腕をあげて写真をとるは、携帯がにょきっと突き出されるはで結局去年と同じ葉目に。要するに会場のレイアウト認識とタイミングのずれが失敗の原因。1時間強、小さな椅子にのっての撮影で足ががくがく、散々でした。早めの事前ロケが大事ですね。

一夜あけて、気をとりなおして武蔵寺の新年写経会にでかける。本殿での写経法会のあと作法にのっとり写経。約1時間、一字一字に気をいれて(息を吹きかけないよう和紙のマスクをして)写経をしてゆく。二日に自宅で書き初めもしたがやはり作法通りすると気持ちもすっきりする。次は例によって井上住職の法話。

最近は年中無休の店がふえたり、おせち料理を家で作らなくなったり、海外で正月を過ごしたりでだんだんと日本的な正月らしさが薄れ、二日目からカレーを食ったりする。まあ、いろいろだが数えで歳をひとつ重ねる節目、あたらしい自分づくりのスタートにしたいもの。もっともなこと。亡くなったアップルのCEOスティーブジョブスの話がでるとはおもわなかったが「私はいろんな人たちから恩恵をうけている。だからお返しできることはすばらしい気分だ」SJが言ってたらしい。まさに般若心経の無常と無我の精神そのもの。ひとさまのためにたとえ少しでも善行できるひとは、すでに生きて仏道を成じていることになる。
武蔵寺の入り口に「時は今、ところは足元、打ち込むいのち」。今、ある命は奇跡の産物、感謝をして、人様に返す。これが仏道修行。足元の簡単なことからしていこうというわけである。
どこかの本に書いてあった。「今という、今なる時はなかりけり。まの時くれば、いの時は去る」
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする