武蔵寺は649年に藤原虎麻呂が建立、伝教大師最澄上人が開いたとされる九州最古の仏跡で福岡県の指定史跡となっている。椿花山といわれるのはこの寺のご本尊である薬師瑠璃光如来が椿の大樹で作られているからとされている。この寺で縁があって写経をはじめて丸二年がすぎた。完全リタイアして3年目にはいっているがこの間の生き方、人間関係には般若心経のとらわれない空の教えが少なからず効いているのではないかと思う。
266文字の般若心経の教えは「空」ということ。ふたつの基本的な考え方があり、一つはものごとは未来永劫不変であることはなく常に移ろいでゆく、変化すということ。いかに暗い夜とて、必ずあける。二つは人間は一人では生きてゆけない、物とて多種多様な部品の集合体、お陰様の気持ち、感謝の気持ちがベースにないと必ず崩れる。この二つが理解できると般若心経は理解できたといえる。じたばたせずあるがままに生きるのが大事なのだが若いうちは大概、「とん、じん、ち」の三毒(諸悪の根源)におかされている。ヤフー知恵袋で調べてみるとこんな回答がでていた。ご参考までに・・・
貪・瞋・癡(とん・じん・ち)の三毒を無くす方法(ヤフー知恵袋)
とん、じん、ち は愚かの連鎖反応とでもいいましょうか。 三毒と言われていますが、もとは「とん」の場合がおおいのですね。
「とん」すなわち貪りです。 お金がほしい、地位がほしい、ひとに好かれたい、成功したいと自分のうつわ以上のことをしてもなかなか手に入るものではありません。 すると自暴自棄になって怒りがわいてくる。 これが「じん」いかりです。 怒って正常な判断ができなくなって愚かなことをしてしまう。 これが「ち」すなわち愚かです。
ですから、このおろかな連鎖反応を阻止するためには、自分の利益ばかり考えず、他の人のことを考えてあげることがまず出発点になります。 人に優しくして文句を言う人はめったにいないでしょう。 あなたは人から好かれたくさんの良い友達に囲まれるでしょう。 それでも心無い人に心をかき乱されるときもあるかもしれません。 そんなときは極力冷静になることです。 これが祈りなのですね。 頭に血が上っている人と同レベルで対処してもいい結果は得られません。 負けるが勝ちで早くその場から立ち去ったほうがいいですね。 どんなにあなたが正しくても争いになれば後悔するのは目に見えています。 愚かな結末は避けるのが知恵というものです。
つまり、常に喜んで人の役に立つようにし、驕らず質素でも笑顔の耐えない環境に暮らし、感情に流されず、人が良い方向に行くように常に祈り、愚かな結果を招くような言動を慎めばよいのです。 簡単なことです。 心のやさしいよい人とのみ付き合い、悪友とは付き合わなければいいのです・・・・・・
写経道場の入口に刺繍でえがかれた見事な般若心経の掛け軸がかかっていた。寺所蔵の宝物ですと井上住職がおっしゃていた。このお寺は天台宗で総本山は比叡山延暦寺だが写経会に参加した当初、私の家は浄土真宗なのだが宗派の違いはいいのかなと思っていたが各派はいずれも天台宗から枝分かれしたものだから別にかまわないということであった
本堂の横に仏教の体系がかいてあったがそういうことかと納得。
その横に写経力というポスターが貼ってあった。わたしが写経の末尾の為書で書くのはいつも「心身一如」である。