ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

201215 人間の運命の分かれ道、田中将大と斎藤佑樹!?

2020年12月15日 | アフターセブンティ

作家、芥川龍之介が「人間というのはその人の性格にあった事件と遭遇し、人生が変わる」と言ったとか。私は実体験からなるほどと思っている。自分の実力とは関係なく権威を振りかざす人間には素直になれない性分。人事異動ほかで損をし、家族にも迷惑をかけた。

 プロ野球の世界は今年はコロナ禍で日米とも大変だったようだ。ヤンキースの田中将大は他チームへ移籍するとかしないとか、日ハムの斎藤佑樹が今年はほとんど仕事をしなくて年俸1200万で契約更改したとか。田中の年俸は7年契約で年にして24億円。今年はコロナで60試合に減ったため10億円くらいになったらしい。この無茶苦茶な差はなぜ生まれたのだろうか

 久しぶりに2006年の夏の甲子園、決勝での駒大苫小牧、田中将大と早稲田実業斎藤佑樹の姿をユーチューブでみた。4対4,15回延長引き分け、4対3で再試合を早稲田実業が制し、夏初めての優勝をもたらした。球史にのこる熱戦だった。斉藤は毎試合二けた三振、決勝では15回180球投げ切り、決勝再試合では田中を三振に打ち取り早実に初優勝をもたらした。

 ハンカチ王子と言われた斉藤、ピンチにも表情を変えず、三振をバタバタとっていた。まさにクールでパワフル、すばらしい投手だった。田中より背丈も体重もひとまわり小さい。そんな中で持久力と抜群の投球術、球威を研究と努力で生み出したのだろう。ハンカチで静かに汗をぬぐう姿など唯一無二。彼だけの姿だね。

 その年、田中はドラフト1位で楽天に、斉藤は早稲田大学に進学、東京六大学リーグに次の野球ステージを選んだ。田中はプロの道に進んだ。斉藤は花の6大学で大活躍をした。そして日本ハムに入った。その時田中は楽天のエースで年俸も2億円。24勝無敗で楽天を日本1に導いた時は年俸4億円。そしてメジャーに挑戦、ヤンキースと7年170万ドルで移籍。毎年二けた勝利を挙げた。その間、斎藤はまったく鳴かず飛ばずの成績で推移した。何故なのか、日本ハムは選手を育てるのがうまい球団とは聞いていたが?斉藤のどこが問題であったのか、それは想定されいたのか?興味深いテーマだが・・・

 32歳、斎藤佑樹が今も引退ではなく野球を続けたいと言ってるらしいが彼がなぜ4年間の大学での回り道をしたのか、その理由は私は知らない。あまり公になっていないのではないか。親もふくめた周りの人たちがアドバイスしたのか?どんな理由で?

 「人間万事塞翁が馬」田中、斎藤の両人がどんな運命をたどるか誰にもわからない。NHK朝ドラ、エールでやらずに後悔するより、やってから後悔したほうがよいとか言ってはいたがね・・・・

 新型コロナのおかげで7万人が失職したり、大幅年収減でローンが払えずマンションを売りに出さざるを得ないという人がごろごろいるご時世に仕事もせずに1200万円ももらえるなんて有難いことだと・・斉藤が自覚している?

 まあそれぞれの人生ですがね・・・


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 201212 ヤマモモほか高木の大... | トップ | 201218 R3年、子供家族を交... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

アフターセブンティ」カテゴリの最新記事