今日は七夕。去年結婚した息子夫婦の入籍一周年。7月5日に挙式、7日に覚えやすいように入籍したもの。1年はやいもの。あの時贈った「祝婚歌」の色紙をみながら新婚1年をふりかえってもらいたいものである。5月に私の古稀記念のハウステンボスツアーで仲睦まじい元気な姿をみているから安心はしているが・・・。
正しいことをいう時は少し控えめにするほうがいい。正しいことをいう時は相手を傷つけやすいものだときずいている方がいい・・・というくだりがある。何もこれは若い夫婦に限ったことでなく70をすぎたシニアにもあてはまる。西鉄二日市駅ちかくの炉端焼きで写真愛好会の役員ミーティングをやった。なにがきっかけかわからなかったが焼酎の酔いも手伝って意見の食い違いがあり口論をやってしまい気まずく別れる羽目になってしまった。まあお互いいい年して恥ずかしい限りだが(本日、電話で和解したが)主張はほどほどにだね。シニアグループは仲良しグループがいいのかもしれないね。理想理屈は右においておくに限る
ところで親鸞の話。先日の写経会。会場は椿花山武蔵寺、天台宗のお寺である。般若心経を読経して、262字を写経する。親鸞のおこした浄土真宗では般若心経はあげない。武蔵寺には一番上に天台宗を書いてその下に浄土真宗や日蓮宗、曹洞宗、禅宗などが書いてある。比叡山延暦寺で修行した僧がそれぞれの考えで別れていって宗派をおこしたということ。写経するのに武蔵寺では宗派は問わない。しかし親鸞、浄土真宗は少し違う
親鸞は1173年源平時代の転変事変が続く混乱の時代に生をうけ、幼少時父母と死に別れ、一体自分が死んだらどうなるのかという疑念をとくべく9歳の時出家、女人禁制の比叡山に上り天台宗の僧侶となり20年間血みどろの修行に身を投じ煩悩との格闘をつづけたが悟りの道には到達できず下山、京都吉水で運命の恩師、浄土宗の開祖法然上人と出会い、ただひとえに阿弥陀仏の本願(どんな人おも絶対の幸福に救う)を信心し念仏すれば救われると教えられついに心の安寧をえる。爾来、新潟に流され、関東で布教し60歳で京都にもどり90歳で亡くなるまで大宇宙最高の仏、阿弥陀仏の本願(ほんとの願い)をただひたすら信心すれば今も死後も救われますよということを教え続けた。しかも善人だけでなく悪人をも、自力ではなくひとえに阿弥陀仏を信じする他力によって人は救われると説き続けた・・・とある。
般若心経の真髄は無常と無我。同じことは続かない、変化こそ常道、夜は必ず明ける。一人では生きられない、お陰さまの気持ちを持つことが大事、とらわれない無碍の心境で生きなさいという教え、すなわち自力を求めている。いつまでもこの苦しみは続くわけではないから未来を信じ頑張りなさいというわけである。この考えをまっこうから否定したのが親鸞であった。20年も必死の修行をしても救われなかった。自力などおこがましい。ただひたすら今生かされていることに感謝しながら「南無阿弥陀仏」と唱え続けなさいというわけである。しかも○○お願いしますと思いながらの念仏はだめでひたすら阿弥陀仏の本願を信じますと思いながら念じよということらしい。
妻の家系は曹洞宗、私の方は浄土真宗(真宗大谷派)。墓が同じ霊園にあるので墓参の時は妻の両親の墓前では般若心経、私の両親の墓前では南無阿弥陀仏を唱えているが形はともかくご先祖を敬う気持ちがあれば良さそうではある。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます