ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

140112 「遊行(ゆぎょう)の門」五木寛之、鬱の時代の生き方!

2014年01月12日 | アフターセブンティ

五木寛之という福岡県出身の作家、皆さんはどれほど知っておられるだろうか。今、全国の地方紙に「親鸞しんらん」を連載中、完結篇で190回を数えている。いずれ上下巻で出版されるだろう。私の新聞切抜きは2センチくらいの厚みになっている。NHK深夜便では「歌の旅びと」で各県別の歌曲をとりあげうんちくを傾けている。私の好きな作家だといえる。1932年生まれ、82歳だ。400字詰め原稿用紙を毎日約3枚づっと書き続ける。毎日書くのか、ためて書くのか聞いてみないとわからないが小説の構想、展開はどう考えるのかね。大したものだ

13歳の時に日本の占領下にあった北朝鮮の平壌(ピョンアン)で終戦をむかえ、占領国から敗戦国という劇的変換、支配するほうから支配されるほうに一夜で変わってしまう。日本の紙幣が紙くずになる。大人の醜さ、支配階級のずるがしこさを骨の髄まで体験した作家。暗い作家といわれるらしいが時代の今と先を読む目は鋭い。私が信奉するゆえんである。

いつかこのブログで「林住期(りんじゅうき)」おなじく五木寛之さんの本を紹介した記憶があるが「遊行期」は死にむかう人生の最後のクウオーターである。60歳は還暦、70歳は古稀といわれる。数え年で言うらしいから私は今年満69歳、かぞえで70歳、古稀である。「人生七十古来希」なりと中国唐代の詩人、杜甫の詩にあるらしい。これは人生50年時代の感覚である。いまや男の平均寿命は80歳だ。そこで人生のピークはいつかという命題がでてくる。

古代インドでは四住期という考えがあったらしい。25歳までを学生期(がくしょうき)要は人様の助けで学び体力をつける時期。そのあと50歳までが家住期(かじゅうき)。自らの力で働き、結婚し、家をもち、子を育て、税金を納める、他のために頑張る時期。次の75歳までが林住期(りんじゅうき)、仕事、会社、家族、近所などあらゆる束縛から自由になり、みずからのために生きる期間。五木さんは50歳で作家の仕事を休止して京都龍谷大学にはいり仏教を学んだようだね。そして最後の25年は遊行期(ゆぎょうき)。死に向かって、すなわち生の原点に還る時期、人様の世話で生きはじめた赤子に戻ってゆく時期。

50歳までの価値観はすべて捨て去ることが肝要。青壮年期の体力が続くと思うな、落ちて当たり前。50歳当時の権限がいつまでも続くと思うな、余計なプライドは捨てよ。75を過ぎて介護される、下の世話をしてもらう。感謝の気持ちをもちながら堂々とまかせよ、赤子に向かってゆくのだからあたりまえ。日本も戦後50年、躁の時代(私の現役時代)から失われた10年をへて今や鬱の時代に入っている。それにふさわしい国のかじ取りが必要になっている。鬱は悪いことではなく力を秘めた時代だ。

さしずめ私などは耐用期間をすぎた心身をいたわりつつ、楽しんでくらしていい時代ということになる。そのためには今まで身についた価値観を「放下」ほうげすることが重要となる。つまらぬことで自らの主張をつづけるとストレスのもととなる。二日の家での宴席、6日の趣味の会での宴席で言わずもがなのことを言ってしまって、妻の顰蹙や宴席を白けさせてしまった。すべてはわが身から出るということである。心底自由になるのはむつかしい。


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