11/22
実のところこの段階で人間小唄の本文には踏み込んでいない。チラ読みをしたら、傍安の歌を送られた両奴は歌をノートちゃんにメモしながら歌の解釈をする。解釈は私の解釈より推量が大胆で私が想像する世界とは大分異なっている。どこが違うか等を書いていたら、時間がいくらあっても足りない。いづれにせよわたしの世界とは違うところに両奴も傍安も住んでいる。違う世界ではあるが、面倒ながらも楽しまなくてはいけない。
話しは唐突だが、作者がくだした解釈は、『蘇我臣傍安という人物の生涯のある特定の時間をその歌を通じてここに描いた。一人の男のひりひりするような現実を描いた』といっており、これを楽しむかどうかはナイル川のほとりにたたずむ読者(作者は、読者のことを卿等ケイラと呼ぶ)に委ねられると………。
作者は、傍安と違い最下層の屈辱的な人間にならないですんだことに安堵して、次の歌を読む。「猫の毛のつきたる衣服の下腹の腹の丸みをいまは撫でている()」
色々と書いているうちに潮時の言葉がある形になったまま死骸のように固まったのでそれを書く、という。傍安に対する判決のようなもので、『殺すぞおまえは一生うた詠むなつか一生口きくな自宅で猿とうどん茹でてろ』というものである。
これを語呂合わせ風に調理すると「傍安よ殺すぞおまえ歌詠むな自宅でうどん猿と茹でてろ()」
以下は、傍安の三分割目の歌である。
----------------------------
「この俺を人夫と云うななめるなよ葱チャーハンは大盛りがいいよね()」
「臆病なあなたに問いますどうしたのですか。ただ生きてますボボンボボンと()」
「毎日の穢さのなかの腹這いの向こうの音になりにけるかも()」
「大磯で内臓肉を食したりうまいけどでも量が多いわ()」
「噛めど噛めど豚の大腸噛みきれず難局のなかで国をしぞ念ふ()」
実のところこの段階で人間小唄の本文には踏み込んでいない。チラ読みをしたら、傍安の歌を送られた両奴は歌をノートちゃんにメモしながら歌の解釈をする。解釈は私の解釈より推量が大胆で私が想像する世界とは大分異なっている。どこが違うか等を書いていたら、時間がいくらあっても足りない。いづれにせよわたしの世界とは違うところに両奴も傍安も住んでいる。違う世界ではあるが、面倒ながらも楽しまなくてはいけない。
話しは唐突だが、作者がくだした解釈は、『蘇我臣傍安という人物の生涯のある特定の時間をその歌を通じてここに描いた。一人の男のひりひりするような現実を描いた』といっており、これを楽しむかどうかはナイル川のほとりにたたずむ読者(作者は、読者のことを卿等ケイラと呼ぶ)に委ねられると………。
作者は、傍安と違い最下層の屈辱的な人間にならないですんだことに安堵して、次の歌を読む。「猫の毛のつきたる衣服の下腹の腹の丸みをいまは撫でている()」
色々と書いているうちに潮時の言葉がある形になったまま死骸のように固まったのでそれを書く、という。傍安に対する判決のようなもので、『殺すぞおまえは一生うた詠むなつか一生口きくな自宅で猿とうどん茹でてろ』というものである。
これを語呂合わせ風に調理すると「傍安よ殺すぞおまえ歌詠むな自宅でうどん猿と茹でてろ()」
以下は、傍安の三分割目の歌である。
----------------------------
「この俺を人夫と云うななめるなよ葱チャーハンは大盛りがいいよね()」
「臆病なあなたに問いますどうしたのですか。ただ生きてますボボンボボンと()」
「毎日の穢さのなかの腹這いの向こうの音になりにけるかも()」
「大磯で内臓肉を食したりうまいけどでも量が多いわ()」
「噛めど噛めど豚の大腸噛みきれず難局のなかで国をしぞ念ふ()」