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僕の読書ノート「ペットが死について知っていること(ジェフリー・M・マッソン)」

2024-10-19 08:35:29 | 書評(進化学とその周辺)

 

本のタイトルが間違っていた。以前から、動物が死を認識しているのかどうかについて興味を持っていたので、タイトルに魅かれてあまり調べもしないで買ってしまったのだが、読んでみたら内容がタイトルとは違っていた。「ペットが死について知っていること」については、ある程度は取り上げられてはいるものの、そういうことを主題とした本ではなかった。また、副題の「伴侶動物との別れをめぐる心の科学」も間違っていた。本書では「科学」については、ほとんど触れられていなかった。だから、そういう興味を持って本書を読むと物足りなさを感じてしまうことになる。

本書の英文タイトルは「Lost Companions: Reflections on the Death of Pets」である。そのまま訳せば「失われた伴侶:ペットの死における反応」であり、それが正しくこの本の主題をあらわしている。本書の内容は、取材にもとづく多くのエピソードや自らの経験を元に考察した、ヒトと伴侶であるペットの間の深い愛情と、そのペットが死んだときのヒトの深い悲しみやその時どうすればいいかについての提案である。「ペットが死について知っていること」や「心の科学」の本ではない。

とても良識的な内容であるし、私も動物との深い愛情や辛い死を経験しているので、おおむね書いてあることには同意できるので、日本の出版社のミスがとても残念である。あと1点、欧米で安楽死の安易な利用が多いのはいかがなものかと思う。

動物が自らや他者の死を認識しているのかどうかについて、科学ではないが、エピソードや著者なりの考察については多少書かれていたのでそれを引用しておきたい。

・犬や猫には、死という概念がないとされてきた。はたして本当にそうだろうか。推測の域を出ない話だという声はもっともだが、私が聞いたり読んだりしてきた話の多くが、実際には犬や猫が死の瞬間に、独特の表情で人間を見つめてくることを伝えている。まるで最期の別れであることを悟り、深刻な場面であることに気づいているかのようだ。いつもの「さよなら」とは明らかに違うということ。私は、犬にはそれがわかると確信している。おそらく、動物にとっての死も人間にとってのそれと同じように大きな意味を持っている。

・ここで、明確な答えが存在しない問いに向き合っておきたい。それは「犬は自らの死について考えるのか」ということだ。彼らには死という概念があるのだろうか。・・・私が確信しているのは、・・・彼らは死後の人生(それにしてもおかしな言い方だ)について思い巡らしたりもしないはずだ。言い方を変えれば、彼らには来世があるのかどうか、死んだあとに何が起こるのかどうか、などは考えないということだ。

・2007年、米医学誌『ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』は、”猫オスカーのある1日”と題する前面記事を掲載した。記事では、・・・2歳の猫オスカーについてのエピソードを紹介している。オスカーは子猫のころに、・・・認知症患者やアルツハイマー病患者が暮らす・・・センターに引き取られた。世界中が注目したのは、オスカーがある不思議な才能—こう呼んだほうがよければだが—を持っているという「事実」だった。オスカーは患者の部屋にふらりと入り、患者の枕元で添い寝をしてゴロゴロとのどを鳴らしながら待つ。いったい何を待つのかというと、数時間後に決まって訪れる患者の「死」だ。オスカーは毎日さまざまな患者の部屋に出入りするのだが、長く居座るのは、もうすぐ死を迎える患者の部屋だけだという。(日本でも似た例が犬で報告されている「看取り犬・文福(若山三千彦)」)

・どうやってオスカーは死をかぎつけるのか。・・・この件について見解を述べる医師のほとんどが、オスカーは病室に入るときに空気をかいだのだろう、と指摘している。オスカーは人間が気づかないレベルの臭い—死んでいく細胞から発生するものと思われる—を感知できたのではないか、というのが彼らの見立てだ。

・猫について、そして死について考えるなかで、わかってきたことがある。それはほかの動物たちが「死」をどうとらえているのかについて、私たちがいかに無知かということだ(人間の死についてさえ、あまり理解できていないのかもしれない)。もしかしたら動物たちは、これまで私たちが考えてきたことよりも、死をよく理解しているのかもしれない。私は猫と暮らし、猫のことを考えるなかで、人間の領域を超えた彼らの知識について、私たちがいかに無知であるかを教えてもらった。あの猫のオスカーは、誰も知らない、あるいは知り得ない何かをたしかに知っていたのだ。オスカーだけが特別なのか、猫が秘密を隠しているのかはわからない。いずれにしても、光栄にも一緒に暮らしてくれる、あの小さなトラたちのことを、私たちはつぶさに観察していくべきだろう。

・野生動物は互いに悲しみ合ったりするのだろうか。答えは間違いなくイエスだ。・・・ゾウが互いの死を悲しむのであれば、人間の死に対しても悲しみの感情を抱くはず、そうは考えられないだろうか。私は、『象にささやく男』を著した故ローレンス・アンソニーが残してくれた事例に、そのヒントがあるような気がしている。・・・2012年のことだった。彼が61歳で心臓発作のために息を引き取ると、(何年も前に彼に命を救われていた)ゾウの2つの群れ、合せて31頭が約180キロの道のりを歩いて彼の家まで行き—1年半ぶりの訪問だ—2日2晩にわたり何も食べず、その場にずっと立ち続けたのだ。きっと亡くなった友人に敬意を表し、その死を悼んでいたのだろう。

・この本を書き終えたいま、私はこう確信している。犬たちは最期が近づいていることを、たしかにわかっている。彼らには死の概念があり、死について考えている。というより、死を感じている、と。そして、犬たちが死をどう思っているのか、それを私たちが正確に知ることはできないということも、あらためて実感している。