自らの子どもさんが学習障害者である、ライターの黒坂真由子氏が、発達障害の専門家や当事者にインタビューした内容と、それを咀嚼して説明しなおした内容からなる600ページ近い大著である。発達障害の実態と対策についてかなりなんでも載っているが、基本的には子どもから若年期までの発達障害が中心として書かれている。大人の発達障害への対応や、治療に用いられる薬の詳しい種類と特徴、病気としての生物医学的な理解について知ろうと思ったら、別の本や情報源にあたったほうがいいだろう。それはともかくとして、本書を読めば発達障害の全貌をひとまず把握することができると言える。私は発達障害についてある程度知っているつもりだったが、本書を読んで初めて知ったことはかなり多い。最後にある、発達障害者の似鳥昭雄氏の人生記は感動的である。
下記に、私なりにとくに覚えておきたいポイントを章ごとに書き留めておく。
序章・「発達障害」とは、何か?
・ASDの人が多数派で、定型発達の人が少数派の世界になったら、定型発達の人たちのほうが「何かおかしい」ということになるだろう。「なんで、表情を読もうとするの?」「発言で判断したほうが、合理的でしょ」などと。(松本敏治氏)
第1章・ADHDー注意欠如多動症
・日本でADHDによく使用されているのは「コンサータ(中枢神経刺激剤)」で、「ストラテラ」「インチュニブ」など作用機序の異なる薬剤も使用可能だ。それぞれの特徴はあるが、いずれも同等の効果が見られている。「マインド・ワンダリング」という言葉があり、「心の徘徊」、要するに、考えがあっちに行ったりこっちに行ったりすることだが、この働きは創造性と密接に関連していることがわかっている。この「マインド・ワンダリング」は服薬によって若干抑えられることにはなります。それが嫌だという人も見られる。ただ、「考えがまとまるようになってよかった」という人のほうが多い。それに、ADHDの薬は一時的に服薬を止めてもいいので、そこは大きな問題になることはない。(岩波明氏)
・子どもが発達障害かもしれないと思ったら、治療するかどうかはともかく、確認しておいたほうがプラスは大きいはずだ。早いうちに弱点や不得意な面に気づくことができれば、本人もその後の人生が楽になる。親も子どもを怒らないで済むようになるので、親子でトラブルになることが減ると思う。(岩波明氏)
・就職に関しては、一般雇用と障害者雇用の場合があるが、基本的には職種が大事だ。ADHDもASDも、個人プレーが向いている。自分1人で取り組める仕事で、結果を出している人は大勢いる。発達障害はある意味、個性だから、それを生かせる仕事を見つけることが大切になってくる。(岩波明氏)
・40歳でADHDとASDの診断を受けた横道誠氏は、診断されて生きるのが楽になったという。「診断って、発達界隈では「伏線回収」といわれているんですよ。私も、自分の人生のいろいろなことの意味が、ようやくわかったと思って。「ああ、だからだったのか」と(横道誠氏)」発達障害における伏線回収とは、「なぜ、自分の人生はこれほどつらいのか」という疑問に対する答えが、「診断」によって明らかになる、ということだと思う。人生の前半にあった、悲しい経験の理由や、疑問に感じた出来事の意味がすべて、診断された障害の名前を聞くことでわかる。伏線が回収されると、「できなかったのは、自分のせいではなかった」とわかる。診断を受けて、ほっとし、生きるのが楽になる理由として、これは大きいと思う。
第2章・発達障害とIQ
・子どもの本音は「みんなとおなじようになりたい」なのだと、私は考える。本音では、特別な配慮をされる存在にはなりた くたいと思っているはずだ。だから、伸ばせる可能性があるなら決して見逃さず、なりたい自分になれるように努力の道筋をつけてあげるのが、本当の支援だと思う。(境界知能や軽度知的障害で少年院に入ってくる子どもが多いが)私は実際、少年院の少年たちがトレーニングでぐんぐん変わっているのを目の当たりにしてきた。中高生でも大きく変わる。小学生ならまだまだ伸びしろがあるはずだ。まったく別人になる可能性すらある。「障害があるから」といって配慮ばかりしていたら、子どもの可能性を潰すばかりか、逆に障害を作り出すことにもなりかねない。(宮口幸治氏)
・(もしも自分の職場に境界知能や軽度知的障害の可能性のある人を見つけたとしたら、どう働きかけたらいいのだろうか?)まずは頑張れない人を応援するということを自覚するところから始めなくてはならない。応援したいと思えない人を、支えていくのは結構大変だ。どうしてもネガティブな感情が生まれてしまうこともある。だから無理は禁物だ。ある会社で、私が提案した取り組みのひとつは「何もいわない」ということだ。余計なことを口にして相手のプライドを傷つけてしまうと悪循環になる。本人が頑張ろうとしているときに、口出しをしないこと。それがスタートだ。(宮口幸治氏)
第3章・子どもの発達障害
・(薬を飲むと、ADHDの子はどんなふうになるのか?)極端な例では、別人のようになる。これまで字が汚くて判読不能、だからテストはほとんど0点。そんなお子さんが、きちっと書けて満点をとったとか、夏休みの自由研究をちゃんと仕上げて賞をもらったとか、そんな話をうかがうと、薬も使いようでは子どもの人生を変えるのかな、って感じるときがある。薬物治療の目的は、決して子どもを「静かにさせること」ではない。日々の困難を緩和し、当たり前の日常生活を送る。そして自分に自信を持ってもらう。それが治療の目的だ。(高橋孝雄氏)
・(薬を飲んでいる子どもたちは、違いを感じているものか?)頭がすっきりする、というかんじがあるようだ。あとは、「できた」という感覚が持てるようになる。「これ大事なお薬だって、わかるよ」って。そんなふうにいう。本人も自覚している。こんなふうに一時期、薬の力を借りることはあるけど、最終的に飲まないですごせるようになる子も、もちろんたくさんいる。週末は薬を飲まない、など徐々に薬の力を借りなくても済むようになっていく。そして、自分の意志で自分をコントロールできるようになったとき、自分に自信を持てたときが薬物治療がおわるときだ。(高橋孝雄氏)
・(親としては、どんなふうに子育てをしていきばよいのか?発達障害だと、本人もそうだが、親も困ることが多い。)一言でいえば、発達障害そのものを治そうとはしないことだ。つまり、「本人を変える」のではなく「環境を整える」。なぜ、本人ではなく環境を変える必要があるのかというと、本人を変えることが難しいからだ。遺伝の支配を受ける素質というものは誰にでもあって、自分ではどうにもならない側面がある。だから自分を変えようと無理するより、自分にとって自然で心地いい日常をすごして、自分を生かせるような道を選ぶほうがいい。念のために申し添えれば、これは「諦める」とは大きく異なる考え方だ。(高橋孝雄氏)
・(ADHD、ASD、学習障害と診断を受けている)私たちって、とにかく雑談ができない。毎日上司と顔を合わせて雑談をする意味がわからない。そんな疑問を、精神科医の岩波明先生にぶつけたことがある。そうしたら、人間の会話のほぼ9割が雑談なのだと。そして普通の人たちは、その雑談のなかから社会生活に必要な知識や情報をとってくるのだと、教えて頂いた。(沖田×華氏)
・(こんな上司だったらいいな、というのはあるか?)怒鳴らない上司。怒鳴られると、フリーズしてしまう。フリーズすると「なんで怒られているのか」は、すっ飛んでしまって、「怒られた」ということだけが残る。指示するときは、曖昧だと理解できないので、短文ではっきりと、「今これをしないと、ここに迷惑がかかるから、今電話して。それでどうなったか教えて」という感じがいい。これを毎回、いってほしい。慣れると「もうわかったね」と、いわなくなる人がいるが、それは困る。ミスしたときに「なんで?」といわれるのも困る。その質問には、答えられない。そもそも「なんで?」なのかは、自分自身にもわからない。「わざとやったわけではないのに、ここまでいわれるのは理不尽だ」という、逆ギレみたいな気持ちが入ってきて、むっとなってしまって、自分の非を認めにくくなる。(沖田×華氏)
第4章・ASDー自閉スペクトラム症
・ASDの人と一緒に生活したり、働いたりする人たちが困っていることや、本人が困っていることの何割かは、ASDの症状や特性が原因ではない。何が原因かというと、感情だ。感情が不安定になることによる問題だ。これはASDに限ったことではない。発達障害の人の周りで、多くの人が困っているのは、本人が癇癪を起こしたり、イライラしたりすることだ。それは本人も同じだ。感情が不安定なことで、周囲も本人も生活に支障が出る場合に、悩みが大きくなって受診に至ることが多い。例えば、発達障害の人たちのことを毛嫌いするハラッサー(ハラスメントの加害者)のような人たちがいる。ああいった人たちが非難するのは、感情面の問題が多い。そういう感情が出てくるのは、これまでの生活環境や体験に基づくもので、二次的なことだ。特にASDの人たちは本来、すごく真面目できっちりしている人たちなので、誤解されている。(本田秀夫氏)
・(その感情の問題を解決する糸口みたいなものはあるのか?)解決するかどうかは難しいのだが、周囲があまり感情的にならないことだ。ASDの人たちは、他人の感情の動きをうまく捉えたり、他人の感情の動きに対応するのが苦手であるわけだ。同じことを指摘するのでも、感情的にならずにさらっと事実関係を伝えてくれれば、まったくトラブルにならないのに、言葉に感情が混ざると、ASDの人が混乱して、お互い感情的になってしまう。(本田秀夫氏)
第5章・発達障害と学校
・(発達障害児が通える学校としては、「特別支援学校(旧養護学校)」、普通校のなかの「特別支援学級」、普通校のなかの「通級による指導」の選択肢がある。)障害のあるこの進路選択は、本当に難しいと思う。例えば、同じ中学2年生同士を比べると、普通校の支援学級にいる子と、特別支援学校の子では、普通校の子のほうが自立している。周りにもまれるから。ただ自尊感情でいえば、特別支援学校の子のほうが高い。リーダーになったり、主役になったりしているから。自分の子は、どちらで伸びるか。どちらのタイプかということになる。(東野裕治氏)
第6章・発達障害と仕事
・発達障害の人が就労するうえで、苦手の把握は不可欠だ。発達障害の人は、自分の得意・不得意が曖昧なまま大人になってしまうケースが多くて、そのためにゆがんだ夢を抱いたりして、就職が難しくなることがある。その意味でも自分を知るということが、ものすごく重要だ。発達障害の人は自分を客観視するのが苦手で、全然合わない職に就いてしまいやすい。しかも向いていない仕事に自分を合わせるのも苦手なので、大打撃をくらってしまう。それを防ぐのに有効なのが、あらかじめ仕事を体験しておくことだ。(鈴木慶太氏)
・発達障害の人には発信より受信が苦手は傾向がある。職場のコミュニケーションにおいては、こちらから伝えたいことをきちんと理解してもらうことが、一緒に仕事をしていくうえで重要だ。細かく何度も指示することが大切だ。「刷り込む」くらいでちょうどいいと思う。淡々とリマインドを繰り返せばいい。イライラせずに言い続けたほうがいい。感情を込めずに伝え続けることだ。(鈴木慶太氏)
第7章・学習障害ー「発達性読み書き障害」を中心に
第8章・発達障害と多様性
・発達障害の私たちは、定型発達の人ほど現実と思考が、しっかりと結びついていないんだと思う。だからすぐに思考がどこかに行っちゃう。現実が常に夢に侵されているような感覚がある。もともとASDの人には、「解離」しやすい傾向があるとされている。多重人格までいかなくても、今いるところが現実なのかどうかわからない、ふわふわした感覚というのはすごくある。ASDの人は、ずっと昔に体験したことを突然思い出して、あたかもついさっき起きたことのように感じることがよくある。杉山登志郎さんという医学者が「タイムスリップ現象」と名づけている。私の場合、幼少期に宗教2世としてのトラウマ的な体験があるので、それがよくフラッシュバックする。(横道誠氏)
・思考も体も思い通りに動かない私たちは、普通の人に「擬態」して生きている。「擬態」というのは、定型発達の人たちのやっていることを見よう見まねで再現するといったニュアンスだ。理由はよくわからないけれど、こうするものらしいから「こうやっておこう」的な振る舞いを、僕らはいつもしている。それでも結局失敗して怒られる、ということを繰り返している。発達障害の人がイライラしやすいと感じるとしたら、そのせいもあると思う。話し方が独特なのも、そのせいがあると思う。僕自身、日本語がすでに「第1外国語」だと感じる。母語なのに、どうしてもぎこちなくなってしまう。(横道誠氏)
・発達障害者は、得意なことと苦手なことの落差が大きい。長所の部分が平均以上ならまだ救われるが、長所の部分が偏差値50を超えない人というのも大勢いる。「発達障害天才論」がまずいのは、そうであるにもかかわらず「自分は天才かもしれない」という可能性にすがりつこうとする人を生んでしまうことだ。発達障害支援センターで「発達障害といわれてショックだったけど、自分にはどこかすごいところがあるんですよね?」と聞いてくる人がいるそうだ。そういう人に対して、「いや、そういう人はそんなにたくさんいるわけじゃない」と伝えるのが苦しいという話も聞く。それに、どんなに発達に凸凹があっても、天才と呼ばれるくらいの人なら、そもそも発達障害と診断されていないことが多いと思う。(横道誠氏)
・ASDの人の割合は人口の1%に満たないともいわれていて、その比率は子どもと大人で変わったりしない。一方、ADHDの人の割合は大人になると顕著に減ることがわかっている。(横道誠氏)岩波明先生もそうおっしゃっていた。その理由は、「大人になれば多動の症状を抑制したり、不注意症状の対策をとれたりするようになるから」ということだった。(黒坂真由子氏)
・当事者研究は、認知行動療法よりずっと体験世界を尊重すると自負している。発達障害を「脳の障害」と捉えずに、「脳の多様性」と捉える。そのような認知の枠組みを変え、かつ支援者、家族、できれば職場の人たちなどにも、その理解を共有してもらう。当事者研究の他の特徴として、ひとつには「生きづらさを、自分の”大切な苦労”として捉える」ことだ。私自身、以前は自分の苦労を自分で背負いたくないと考えていた。代わりの誰かに背負ってほしいと。しかし、そうすると、かえってしんどくなる。自分の苦労から逃げてしまうと、かえってつらくなる。覚悟を決めて苦労を背負うことで、むしろ世界がぱっと開ける。世界がはっきり見えてきて、生きやすくなるということがよく起きる。(横道誠氏)
・全国調査の結果、ASDの人たちは方言を話さない傾向がわかってきた。その理由として、ASDの人は「共同注意と意図理解が苦手」だからだという仮説が考えられている。「共同注意」とは、複数の人が同じ対象に注目することである。「意図理解」とは、相手が何を考えているか察することである。これらのことが苦手であれば、家族を含めた周囲の人たちとのコミュニケーションを通して言語を習得することは難しいだろう。方言は話さないけれど、なぜ共通語だと習得できるのかに関しては、「メディアから言語を習得している」という仮説を持っている。アニメのキャラクターやコマーシャルのセリフ、電車のアナウンスなどを、オウム返しのように繰り返す、ASDの症状は昔から報告されている。(松本敏治氏)
・共通語しか話さなかったASDの子どもが、方言を話すようになったケースはある。ただ、話し出した時期が小学生から社会人まで、ばらばらだった。調査して見えてきたことはある。それは、「方言を話すようになった時期に、同世代の人に対する興味・関心が芽生えている」ということ。例えば、同世代の集団に入ろうとするとか、同世代の人と一緒に何かをしようとしたタイミングで、方言を話すようになっている。そして方言を話すようになるのと同時に、人と関わるための社会的スキルも伸びている。面白いのは、方言を使うようになったきっかけとして、家族は出てこないことだ。(松本敏治氏)
終章・発達障害の希望
・(70歳を過ぎてから自身が発達障害であるとの診断を受けたニトリ会長の似鳥昭雄氏は、若い時に家具屋を始めた。)ところが売り上げが全然伸びない。会話が苦手だからだ。接客ができない。頭のなかには接客のセリフがあるのに、口からうまく出てこない。私の窮状を見ていた母親が、結婚して奥さんに商売を手伝ってもらえばいいと提案してきた。実際、家内と結婚した2年目から、商売がうまく回り始めた。家内は愛想がよくて、お客さんに好かれ、度胸もあって商売上手。家内と結婚して販売を任せた途端、年間売上高が前年比2倍の1000万円になった。家内に販売を任せたおかげで、私は苦手な接客をしなくてよくなり、配達と仕入れに専念できるようになった。この役割分担が、ニトリ成長の最初の原動力だった。苦手なことを放棄したのがよかった。(似鳥昭雄氏)
・会社で社員に言っていることは、「短所あるを喜び、長所なきを悲しめ」だ。短所が99個あっても、1つ長所があればいいと思う。人間は皆、平等だ。だから、全員「さんづけ」で呼び合う。「長」という肩書が示すのは責任の重さであって、人間の優劣ではない。だから、いばるような言葉遣いの人には注意するし、降格となることもある。あとは社員に夢を与えることだ。「会社のためではなく、自分のためにニトリを利用して自己成長してください」と伝えている。(似鳥昭雄氏)
・(発達障害の特性のプラス面は?)こうと思ったら、やってみるところだ。頭がいい人ほど、何か思いついてもためらってしまって、やらない。でも、発達障害の私は、それをやっちゃう。取り組んじゃう。そういう勇気がある。いい考えがあっても、取り組まなければ失敗だ。そういう、やらない失敗が多い。だから、発達障害の特性は持ったままでいい。失わないほうがいいと思う。(似鳥昭雄氏)