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映画「グラン・トリノ」:キャラハン刑事,老人ホーム行きを断る

クリント・イーストウッド監督の新作に接する時は,極力「イーストウッド印」という先入観を持たずに画面に正対するようにしているのだが,今回もまた始まって10分も経たない内に,正確なショットとカット割のリズムによっていつもの快感に我を忘れてしまった。撮影のトム・スターン,編集のジョエル・コックスと組んだ磐石のトライアングルから生まれる「イーストウッド印」の魔法は,主人公が大切に保管していた1973年型グラン・トリノ(フォード社製のスポーツ車)の磨き上げられたボンネットに負けず,光り輝いている。

何度も繰り返される主人公のウォルト(イーストウッド)と少年タオとの何でもない会話シーンがその魔法の良い例だ。最初に引いたキャメラが二人をワイドで捉え,次にウォルトのバストショット(上半身のショット),次にタオのバストショット,次にウォルトの角度を変えたバストショット,次にタオのクロースアップ…と続く幾つものショットの切り替えが生み出す,得も言われぬリズムの心地良さがこの魔法の主成分であることは疑いがない。

更に殆ど全てのシークエンスにおいて,観客が台詞の余韻を感じる隙間を与えない短さで切り替わる,シークエンス最後のショットの見事さはどうだ。
そうしたショットが積み重なって生み出す独特の「潔さ」こそ,若い頃から出演してきた山のようなTV番組,更にはマカロニ・ウェスタン以降,セルジオ・レオーネやドン・シーゲルらアクション映画の巨匠と組んだ作品群から会得した,シンプルな作劇法が昇華したものだと私は思っている。

また「硫黄島からの手紙」に出演した日本人の俳優が,こぞって撮影の速さに驚いていたが,そういった証言は,ショットの構図だけではなく,それらが繋ぎ合わされた時のイメージが撮影時のイーストウッドの中で明確になっていることの証左になっていると言えるだろう。
そしてそのイメージを共有出来るスタッフと巡り会い,彼らと長年歩んできた経験こそが,イーストウッド組にとっての最も強力な武器であり,誇りでもあるのだということも,画面の端々から伝わってくる。ウォルトがタオに対して,ガレージに並んだ「50年かけて集めてきた工具」の自慢をするシーンは,彼の映画に関わってきた全てのスタッフに対する感謝に他ならないのではないだろうか。

タオがグラン・トリノを盗もうとガレージに侵入するシークエンスに,ウォルトの決着の付け方を示唆するショットが忍ばせてあることからも明らかなように,「死」が大きなテーマとなっている作品であるが,ウォルトと床屋,タオの祖母達との会話におけるユーモアが,作品を大きく豊かに膨らませているのも特筆すべき点だ。息子から老人ホームの説明を聞かされている時のウォルトの表情だけでも,充分にオスカーに値すると私は思うのだが。

GWのユナイテッドシネマの朝1回目は7割方埋まっていたが,出てくる人たちの顔は,ジェイミー・カラムの渋い歌声に乗せて,海岸沿いの道でグラン・トリノを操るタオの顔と重なって見えた。リアルタイムでこんな作品を観ることが出来た観客にとっては,映画界の稼ぎ時という意味で名付けられた春の休日が,文字通り光り輝く1日になったのではないだろうか。
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