海野宿
10月25日(金)の最終回です。さち婆のご指示で布引観音の次はお隣東御市の海野宿へ。
信州とうみ観光協会のホームページによると、「海野宿は寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として開設されました。北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道でした。佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多くありました。寛保2年の大洪水によって隣接する田中宿が被害を受け、本陣が海野宿へ移されてからは、伝馬屋敷59軒、旅籠23軒と、たいへんな賑わいを呈していました。明治に入り宿場機能が失われてからは、養蚕の村へと移り変わりました」。「伝統的な家並みが現在まで保存されていることから、昭和61年には『日本の道百選』に、62年には『重要伝統的建造物群保存地区』に選定を受けています」とのこと。
わかりにくい場所でしたが、駐車場があったので車を停めてちょっと歩くとこちらへ到着。
白鳥神社の境内にあった立派なケヤキです。
なるほどねぇ~。
横から入ってしまって大変失礼いたしました…。こちらが正面ですね。
海野宿は白鳥神社のすぐ横から始まっています。
もう16時近くなので暗くて、明るさを調整してもこんなところ…。モノクロ写真みたいです。
これはあえてモノクロのフィルターをかけてみました。上と大して変わりませんよね!?
下校中の小学生も入れて。
なつかしの 玩具展示館
そうか、400年かぁ~。
古本カフェ のらっぽ
海野宿の解説板です。
海野宿街道案内も。
カラスは上から落とした木の実か何かをくわえておりました!?
元気な小学生たちも入れて。
大した距離ではないので、端まで歩いて振り返ったところだったかな。
用水をメインに。
戻ります。
卯建と気抜き
解説板もありました。
先のホームページによると、「『本うだつ』は江戸時代のもの、『袖うだつ』は明治時代のものです。どちらも富裕な家でなければできるものではありませんでした。このようなところから『うだつがあがらぬ』という言葉も生れています」。「『気抜き』は明治時代の蚕室造りの象徴です」とのこと。
海野宿資料館
そば処 かじや
今度またゆっくり歩いてみたい場所でしたね。
千曲川沿いのススキです。
最後にまた海野宿の産土神の白鳥神社を。このあと小諸市の宿へと向かいました。翌日の鹿沢高原へと続く。
本日はおこもりしてオギの穂の整理と、明日のアートを楽しむ観察会「オギのトトロやフクロウ作り」の準備完了。お天気もどうにかもちそうかな。