たか爺のワンダースクール通信

「センス・オブ・ワンダー」をキーワードにした野遊び教室「自然体感塾ワンダースクール」の活動記録とお花中心のブログです。

海野宿にて

2024年11月09日 | 湯の丸・鹿沢高原など

海野宿

 10月25日(金)の最終回です。さち婆のご指示で布引観音の次はお隣東御市の海野宿へ。
 信州とうみ観光協会のホームページによると、「海野宿は寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として開設されました。北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道でした。佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多くありました。寛保2年の大洪水によって隣接する田中宿が被害を受け、本陣が海野宿へ移されてからは、伝馬屋敷59軒、旅籠23軒と、たいへんな賑わいを呈していました。明治に入り宿場機能が失われてからは、養蚕の村へと移り変わりました」。「伝統的な家並みが現在まで保存されていることから、昭和61年には『日本の道百選』に、62年には『重要伝統的建造物群保存地区』に選定を受けています」とのこと。


 わかりにくい場所でしたが、駐車場があったので車を停めてちょっと歩くとこちらへ到着。
 


 白鳥神社の境内にあった立派なケヤキです。


 なるほどねぇ~。


 横から入ってしまって大変失礼いたしました…。こちらが正面ですね。


 海野宿は白鳥神社のすぐ横から始まっています。




 もう16時近くなので暗くて、明るさを調整してもこんなところ…。モノクロ写真みたいです。


 これはあえてモノクロのフィルターをかけてみました。上と大して変わりませんよね!?


 下校中の小学生も入れて。


なつかしの 玩具展示館


 そうか、400年かぁ~。



古本カフェ のらっぽ


 海野宿の解説板です。


 海野宿街道案内も。


 カラスは上から落とした木の実か何かをくわえておりました!?


 元気な小学生たちも入れて。


 大した距離ではないので、端まで歩いて振り返ったところだったかな。


 用水をメインに。


 戻ります。








卯建と気抜き



 解説板もありました。
 先のホームページによると、「『本うだつ』は江戸時代のもの、『袖うだつ』は明治時代のものです。どちらも富裕な家でなければできるものではありませんでした。このようなところから『うだつがあがらぬ』という言葉も生れています」。「『気抜き』は明治時代の蚕室造りの象徴です」とのこと。


海野宿資料館



そば処 かじや


 今度またゆっくり歩いてみたい場所でしたね。



 千曲川沿いのススキです。



 最後にまた海野宿の産土神の白鳥神社を。このあと小諸市の宿へと向かいました。翌日の鹿沢高原へと続く。

 本日はおこもりしてオギの穂の整理と、明日のアートを楽しむ観察会「オギのトトロやフクロウ作り」の準備完了。お天気もどうにかもちそうかな。

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