Music Mania

No Music No Life

3分の2荷重

2022年07月05日 | 入院生活とその後
今日の天気は雨という予報だった。
両手に松葉杖を持つ身としては、雨の日の外出は出来るだけ控えたいところだけど、レントゲンと診察とリハビリの予約をとってあるので、いかざるをえないのだ。
天気がよくないのは先週からわかってたので、ダイソーで雨ガッパを買った。
雨ガッパを着て両手で松葉杖をついて、駐車場から入り口まで雨の中を歩くのである。
わりと大きな病院なので駐車場は広いし、僕の場合運転席のドアを全開にしたいので、おのずと停められるところが決まってくるわけで、多くの場合それは遠いところだ。
歩くのはぜんぜん苦にならないのだけど、あまりに雨が激しいと、それはちと困る。
ゲリラ豪雨の中をえっちらおっちら松葉杖ついて歩くのは、ほとんど苦行に近いことが予想される。
そうなったらなったで、ネタにするという手もあるが。

というある種の覚悟を決めてたわけだが、いざその時がきたら、ぜんぜん雨が降っておらず、降りそうな気配もなかった。
雨ガッパは無駄になったけど、豪雨の中を歩くより1万倍くらいよかった。

レントゲンを撮って診察をしてもらうと、少しづつ骨がつき始めてるようで、順調に回復してることが確認できた。
そして、今日から痛めた左足に体重の3分の2(僕の場合40キロ)まで負荷をかけていいようになった。
そして松葉杖は1本でOKとなったのだ。

今日のリハビリの先生は若いお喋り好きな女性(しかもかわいい)だった。
リハビリといっても僕の場合、筋肉の可動域はほとんど回復しているので、主にマッサージと、今日のメインである松葉杖一本歩行の練習だ。
若いお喋り好きなリハビリ師(しかもかわいい)はマッサージ中ずっと喋ってた。
自分はこういう仕事をして患者の筋肉をほぐしたりしてるのに、自分自身はとても身体が硬くて、いわゆるヤンキー座り(和式トイレスタイル)をすると、カカトを床につけることが出来ないという。
カカトをつけようとすると後ろに転けてしまうらしく、最近の若い人に多いらしい。
そしていよいよ松葉杖一本歩行である。
といっても、すんなり松葉杖一本で歩くことが出来た。
これで片手に何かモノを持って歩くことが出来るし、コンビニでちょっとした買い物をすることも出来る。
これで家の中でもだいぶ自由に動くことが出来る。
今日から一週間、松葉杖一本での歩行練習だ。

2分の1荷重

2022年06月29日 | 入院生活とその後
先週金曜日、退院して我が家に帰った。
家の中でも両松葉杖である。
椅子に座って、ご飯を食べたりインターネットしたりは不自由なく出来るし、トイレも風呂もいける。
階段の昇り降りも問題なく出来る。
ただ、移動時は常に松葉杖で両手が塞がっているので、物を持って運ぶということが出来ない。
これはなかなか不便で、例えば台所でコーヒーを作って、それをテーブルに運ぶということも出来ないのだ。
冷蔵庫から出したペットボトルなんかは、ジャージのポケットに入れて運ぶとかなら出来るけど。

クルマの運転は出来る。
乗り降りにだけ気をつけて運転席に座ってしまえば、あとは左足を使うことはない。
あとはいつものように普通に走らせることが出来るし、ドライブスルーでハンバーガーを買うことも出来る。
ただし、時間はせいぜい1時間までだ。
左足の筋肉、筋力が落ちたせいで、疲れてしまうのである。
疲れたらどうなるのか?
左足がだるくなり、左のお尻や腰が痛くなってくるのだった。

昨日再び病院へ行きレントゲンをとってもらったところ、全く問題なく順調に回復しているとのことだった。
まだまだ骨は繋がってはいないのだが、予定通り左足に体重の2分の1負荷が許可された。
つまり、両足で均等に立つことが可能になったのだ。
これでだいぶ無事な右足への負担が減ったし、松葉杖での歩行時も腕への負担が少なくなった。
予定では来週火曜日のレントゲン撮影で問題なければ3分の2荷重が許可される予定で、そうなると松葉杖が1本で歩けるようになるはずだ。

退院前夜

2022年06月23日 | 入院生活とその後
今晩ここの白いベッドで一夜を過ごしたら、明日は退院である。
3食昼寝付き、ただし自由が制限される生活も終わりを告げるのだ。

入院中に読んだ本は15冊くらいだと思う。
一ヵ月の読書量としては、かなり多い。
前にこれくらい読んだのはいったいいつだったかわからないし、もしかすると人生最大の一ヵ月の読書量かもしれない。
その代わり、以前にも増して老眼が酷くなった気がする。
老眼鏡をかけるとよく見えるものの、外したときの視力低下がハンパないので、極力かけないようにしている。
実は僕のベッドは一番廊下側、つまり窓から遠いので、カーテンで仕切られたスペース内では昼間でも少し暗いのだ。
若い人だと問題ないんだろうけど、小説を読むには厳しい。
そんななか、無理して読み続けてるせいで、すっかり視力が悪くなったのだ。
なので、最近ではデイルームという休憩所で本を読んでいる。
ここは明るく、細かい字もよく見えて非常によろしい。
ただし時間制限があって、昼の3時までとなっている。

今日もデイルームで村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の下巻を読んでいたら、後ろの方で男と女の話し声が聞こえてきた。
女はここの入院患者で、男はどうやら自動車の任意保険の担当者のようだ。
女はどうやら交通事故被害者のようで、自分は悪くないことを力説していた。
気がつけばクルマが突っ込んできて避ける間も無くぶつかった、という話を、少なくとも5回は言ってたと思う。
僕が気がついただけで5回なので、実際は10回くらい言ってたかもしれない。
そこまでしてそれを主張するということは、もしかすると女側にも少しは過失があったのではないのか、と逆に感じてしまう。
保険屋さんは、その手の人間には慣れっこのようで、淡々と話を聞いていた。
その後、小一時間ほど経つといつの間にかいなくなってた。

入院患者で唯一会うたびにしゃべる人がいる。
僕と同世代の女性で、僕と同じ日から入院して、同じく明日退院するという。
全くのすっぴんで僕と同世代に見えるということは、きちんと化粧をして、髪型も服装も整えればもっと若く見えることだろう。
なので、実年齢はもっと若いかもしれない。
毎日何をして暇を潰しているのかきくと、息子さんがポケットWi-Fiを貸してくれたおかげで、毎日タブレットでネット動画を見ているという。
そうか、やっぱり入院にはポケットWi-Fiは必須だな。
ネットに飽きたら小説を読んでるという。
彼女と同室の高齢女性は朝から晩までテレビを見てるせいで、テレビカード代が1万円を超えたという。
カード1枚で1050分見れるので、時間にすれば17.5時間だ。
日中ずっとテレビを見てたら二日で終わる。
これはこれで大変なことだ。

退院日決まる

2022年06月21日 | 入院生活とその後
とりあえず退院日が決まった。
24日の金曜日だ。
その日は午前中にリハビリをして昼ごはんを食べて、昼から退院の手続きに入り、妻に迎えにきてもらう予定。

今の部屋に移動になったばかりの頃だ。
車椅子で廊下を通っていると、一人の高齢患者が杖をつきながら満面の笑顔で話しかけてきた。
「わたしゃ、明日退院ですにゃわ。いろいろお世話になりましたなぁ」
僕はここへ来たばかりだし、その人の顔を見たのも初めてだったけど、いちおう「おめでとうございます」と言っておいた。
おそらく退院出来る喜びを誰かに伝えたくて仕方なく、会う人全員に同じことを言ってたのだろう。
もしそこに一匹のネコが散歩していたら、きっと同じように声をかけているに違いないし、カーネルサンダースの等身大の置物が有れば、やはり声をかけてることだろう。

反面、退院を惜しむ人もいる。
退院を間近に控えた一人の高齢者は、「退院しても一人だし、ずっとここにいる方がいい」とぼやいていた。
ここにいれば、同世代の人がたくさんいるし、食事も決まった時間に自動的に用意されるし、具合が悪くなれば24時間体制で診てもらえる。
退院したくないというのは本音だろう。

患者のなかには、病室で大きな音で音楽をかけている人もいる。
朝の診察が始まる前と昼休みのときだけだけど、演歌を流す人がいるのだ。
僕の病室から一つ飛んで次の部屋なので、けっこう大きな音だけど、誰も文句は言わないし、看護師も注意しない。
おそらく、同室の人はその人が流す演歌を楽しんでるんだろう。
流れるのはたいてい美空ひばりとかテレサテンとか島倉千代子だ。
これがジューダスプリーストとかブラックサバスだったら5分以内に注意されるに違いない。

今読んでる本は村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」だ。
前に読んだことがあるけど、暇なので持ってきてもらったのだ。
これの上巻の131ページに

『哺乳類としての私』とか『骨は語る』という本も面白そうではあったが

という一説がある。
ここで言う『骨は語る』という本は、骨を具に観察することにより、本来そこにあったはずの筋肉や身体のあらゆるパーツが読み解ける、ということが書かれてると想像出来る。
あるいはもしかすると、骨にアメリカンコミックみたいな顔があり、その骨が勝手にいろいろ語り出すというファンタジーな内容かもしれない。
もし僕の左足脛骨が語るとすると、きっとこんな感じだろう。
『おいら左足脛骨だけどよ、おいらの主人は人づかい、いや骨づかいが荒くてかなわねえよ。挙句の果てに真っ二つに折っちまってよ、マジ勘弁してくれよ』
僕は素直に謝るしかない。

入院して4回目の日曜日

2022年06月19日 | 入院生活とその後
先日、隣のベッドで手術後に尿が出ないからと管を通してもらってた人は、次の日に退院した。
決して短くない時間(たぶん2時間以上)の手術をして下半身麻痺状態だったのに次の日に退院だなんて、そんなこともあるのかと不思議に思った。

そういえば、30数年前に虫垂炎の手術をした後、僕も尿瓶での排出が出来なかった。
仕方ないので、麻酔が切れたあと自力でトイレまで歩いて用を足した。
再びベッドまで戻ったら全身から滝のような汗が出ていて、手術したところは拷問のように痛かった。
今考えるとムチャなことしたもんだと思う。

一日は恐ろしく長く、まるで「暇を持て余す男」という絵画の主人公になったみたいに退屈だけど、一週間が過ぎるのは時空を捻ったように早く、今日で4回目の日曜日だ。
これは日々の中の小さなドラマがあまりに少ないからだろう。
通常だと混雑のなか通勤し、会社では小さなトラブルや予想外の事に一喜一憂するなど、小さなドラマが幾重にも積み重なるわけだ。しかしこれが入院生活となると、日々のドラマが少なすぎるため、それらを積み重ねてもきっと5日分くらいにしかならないだろう。

なんとか来週末くらいには退院出来るらしい。
退院してもしばらくは自宅療養となるけど、だいぶ退屈しのぎは出来る。
インターネットし放題だし、座ってならギターも弾ける。
時間を気にせずテレビも見れるし、毎日お風呂に入れる。
来月になればクルマの運転も出来るだろうし、家で料理も出来るようになる。
松葉杖無しで歩けるようになれば、体力回復のため、毎日散歩をしよう。
少しづつ距離を伸ばして、来月末には5キロくらい歩けるようにするのが目標だ。
そして、8月からの仕事復帰を目指すのである。
入院生活もあと一週間だ。