マイカーのアクセラが車検から半年経ったので6ヶ月点検に出してきた。
結果は異常なしで、オイルとエレメントの交換もやってもらった。
これらの費用は車検時に支払ってあるので今回は無料だ。
現在走行距離は74865Km、これだけ走ってタイヤもブレーキバッドもバッテリーもまだ大丈夫というから、なかなか経済的だといえる。


写真の左側が走行距離で右側がトリップメーターなのだが、僕はガソリンを入れるたびにこれを0にしている。
距離計の上側がガソリンメーターのデジタル表示で、現在左側のEの部分で一目盛りだ。
つまり満タン給油後626.8km走って残りがこれだけ、燃費はリッター15kmだ。
高速道路なしの一般道オンリー渋滞有りという状況で、この数値は立派なものだと思う。
アクセラというクルマ、僕の型で2代目になるがその前はファミリアという名前だった。
ファミリアは、他メーカーでいえばカローラやシビックに相当する大衆車で、とくに1980年登場の5代目モデルが大ヒットしたようだ。
この5代目モデルと現在のアクセラ、30年の月日を経てどう進歩したのか見てみよう。
条件を揃えて、4気筒1500cc、5ドアハッチバック、ATでの比較だ。
参考に3代目デミオ1300も並べてみた。


こうやって見てみると、現行アクセラは30年前のファミリアより一まわりどころか二まわりくらい大きいのがわかる。
そして本来一つ下のクラスになるデミオが、30年前のファミリアと似たサイズである。
では、30年前のファミリアより2クラス上のコスモとアクセラを比較してみよう。
条件を揃えるため、今度はセダンでの比較だ。


この型のコスモにはロータリーターボという恐ろしく速いモデルも存在するのだが、ここでは4気筒2000ccでの比較にした。
馬力は120となっているが、当時はグロス表示なのでネット換算すると105馬力くらいだろう。
全長こそコスモのほうが少し長いが、それ以外はアクセラのほうが大きい。
それにしてもこの型のコスモのデザインはカッコイイというより個性的で、かなり好き嫌いがわかれるものだ。
このコスモの兄弟車でルーチェというクルマもあったが、その後センティアという名前に替わりやがて消滅した。
この30年間、クルマは巨大化が進み、本来大衆車だったクルマが高級車のような大きさになってしまった。
大きさだけではない。
静粛性、装備、乗り心地など、現代の大衆車は30年前の高級車になってしまったのだ。
少々行きすぎのような気がするが、これも時代の流れなのだろう。
結果は異常なしで、オイルとエレメントの交換もやってもらった。
これらの費用は車検時に支払ってあるので今回は無料だ。
現在走行距離は74865Km、これだけ走ってタイヤもブレーキバッドもバッテリーもまだ大丈夫というから、なかなか経済的だといえる。


写真の左側が走行距離で右側がトリップメーターなのだが、僕はガソリンを入れるたびにこれを0にしている。
距離計の上側がガソリンメーターのデジタル表示で、現在左側のEの部分で一目盛りだ。
つまり満タン給油後626.8km走って残りがこれだけ、燃費はリッター15kmだ。
高速道路なしの一般道オンリー渋滞有りという状況で、この数値は立派なものだと思う。
アクセラというクルマ、僕の型で2代目になるがその前はファミリアという名前だった。
ファミリアは、他メーカーでいえばカローラやシビックに相当する大衆車で、とくに1980年登場の5代目モデルが大ヒットしたようだ。
この5代目モデルと現在のアクセラ、30年の月日を経てどう進歩したのか見てみよう。
条件を揃えて、4気筒1500cc、5ドアハッチバック、ATでの比較だ。
参考に3代目デミオ1300も並べてみた。


こうやって見てみると、現行アクセラは30年前のファミリアより一まわりどころか二まわりくらい大きいのがわかる。
そして本来一つ下のクラスになるデミオが、30年前のファミリアと似たサイズである。
では、30年前のファミリアより2クラス上のコスモとアクセラを比較してみよう。
条件を揃えるため、今度はセダンでの比較だ。


この型のコスモにはロータリーターボという恐ろしく速いモデルも存在するのだが、ここでは4気筒2000ccでの比較にした。
馬力は120となっているが、当時はグロス表示なのでネット換算すると105馬力くらいだろう。
全長こそコスモのほうが少し長いが、それ以外はアクセラのほうが大きい。
それにしてもこの型のコスモのデザインはカッコイイというより個性的で、かなり好き嫌いがわかれるものだ。
このコスモの兄弟車でルーチェというクルマもあったが、その後センティアという名前に替わりやがて消滅した。
この30年間、クルマは巨大化が進み、本来大衆車だったクルマが高級車のような大きさになってしまった。
大きさだけではない。
静粛性、装備、乗り心地など、現代の大衆車は30年前の高級車になってしまったのだ。
少々行きすぎのような気がするが、これも時代の流れなのだろう。