人気漫画「美味しんぼ」で福島県を訪れた主人公が鼻血を出す描写が問題になっている。
原作者の雁屋哲氏は2年かけて実際に福島を取材し、そこで得た真実をありのままに書いたという。
それに対して、風評被害が生じる、差別を助長させる、など、多くの苦情が寄せられている。
原作の雁屋氏は、正式な反論は最後の回までお待ちください、としているものの、とりあえずこう書いている。
(5月4日の「雁屋哲の今日もまた」より)
私は自分が福島を2年かけて取材をして、しっかりとすくい取った真実をありのままに書くことがどうして批判されなければならないのか分からない。
そして、美味しんぼが気に入らないのなら、自分たちに都合のいい、自分たちにとって心地よい読み物を読んでください、という。
おそらく雁屋氏の書いていることは真実だろう。
嘘は書いていないと思う。
ただ、事実を書いたからといって、読者に真実が伝わるとは限らない。
僕は彼のウェブサイト「雁屋哲の今日もまた」を以前から愛読している。
それでこの人は、反原発、反天皇制、憲法改正反対、戦後賠償はきちんとしろ、という考えだということがわかった。
ただ彼は、原発は悪という、認知バイアスがかかった状態で取材を行っていると思う。
だから、これを読んだ人は「やはり原発は危険なんだな」と感じるようになっている。
なんだかんだ言って、雁屋氏も、自分に都合のいい事実のみを選別して使っているのではないだろうか。
あるいは、最初から自分の欲しい答えが聞ける人を選んで取材しているのかもしれない。
実際、漫画の舞台となった福島県双葉町では、役場への取材はなかったという。
役場のような公の場では、期待する回答は得られないと判断したのだろう。
雁屋氏は昨年の2月14日に、福島取材での自分がどう思ったかについて表明するのはやめたと書いている。
理由は、
「反原発であるとか、原発推進であるとか、そのようなことを漫画の中で言うのは止めた。
そのような、一つの意見で漫画全体に色を付けてしまうと、なにやら、宣伝パンフレットみたいになってしまう恐れがある。
一つの考えを読者に押しつけるのも嫌だ。」
ということだ。
そして
「私が見てきた福島の真実を、その真実の姿だけを書く」
その結果が、今の“美味しんぼ騒動”なのだ。
とりあえず美味しんぼの福島編が終了して、雁屋氏の反論を待つことにしよう。
原作者の雁屋哲氏は2年かけて実際に福島を取材し、そこで得た真実をありのままに書いたという。
それに対して、風評被害が生じる、差別を助長させる、など、多くの苦情が寄せられている。
原作の雁屋氏は、正式な反論は最後の回までお待ちください、としているものの、とりあえずこう書いている。
(5月4日の「雁屋哲の今日もまた」より)
私は自分が福島を2年かけて取材をして、しっかりとすくい取った真実をありのままに書くことがどうして批判されなければならないのか分からない。
そして、美味しんぼが気に入らないのなら、自分たちに都合のいい、自分たちにとって心地よい読み物を読んでください、という。
おそらく雁屋氏の書いていることは真実だろう。
嘘は書いていないと思う。
ただ、事実を書いたからといって、読者に真実が伝わるとは限らない。
僕は彼のウェブサイト「雁屋哲の今日もまた」を以前から愛読している。
それでこの人は、反原発、反天皇制、憲法改正反対、戦後賠償はきちんとしろ、という考えだということがわかった。
ただ彼は、原発は悪という、認知バイアスがかかった状態で取材を行っていると思う。
だから、これを読んだ人は「やはり原発は危険なんだな」と感じるようになっている。
なんだかんだ言って、雁屋氏も、自分に都合のいい事実のみを選別して使っているのではないだろうか。
あるいは、最初から自分の欲しい答えが聞ける人を選んで取材しているのかもしれない。
実際、漫画の舞台となった福島県双葉町では、役場への取材はなかったという。
役場のような公の場では、期待する回答は得られないと判断したのだろう。
雁屋氏は昨年の2月14日に、福島取材での自分がどう思ったかについて表明するのはやめたと書いている。
理由は、
「反原発であるとか、原発推進であるとか、そのようなことを漫画の中で言うのは止めた。
そのような、一つの意見で漫画全体に色を付けてしまうと、なにやら、宣伝パンフレットみたいになってしまう恐れがある。
一つの考えを読者に押しつけるのも嫌だ。」
ということだ。
そして
「私が見てきた福島の真実を、その真実の姿だけを書く」
その結果が、今の“美味しんぼ騒動”なのだ。
とりあえず美味しんぼの福島編が終了して、雁屋氏の反論を待つことにしよう。