先週の日曜日、僕は近所のツタヤでCDを物色していた。
目当ては浜田麻里で、ほとんど聴いたことのない僕は、とりあえずベストか最新盤、あるいは過去の代表作でも借りようと
思ったのだ。
だが、なかった。
「は行」を探しても、浜崎あゆみや浜田省吾はあっても、浜田麻里はなかったのだ。
そんななか一枚のCDに目が止まる。
山下達郎オールタイムベスト。
おお、これは以前、アマゾンでチェックしていて、買おうかな、と思ったけど山下達郎ならレンタルにあるだろう、と保留にして、
結局2年くらい忘れていたCDだ。
というわけで、山下達郎のオールタイムベストを借りて帰ったのだった。
このオールタイムベスト、ボリュームがスゴイ。
3枚組プラスボーナスディスクで、合計4枚。
収録曲は全部で55曲、お腹いっぱいすぎる内容だ。
僕は音楽の消化が悪いので、一週間たっても、まだ2枚目までしか聴けていない。
毎日これを聴いているのに、まだ3枚目に行くことが出来ないでいる。
今年初めに買ったネーナ5枚組は、全部聴くのに一ヶ月近くかかった。
だいたい一枚のアルバムを最低5回は聴かないと「聴いた」という気になれないのだ。
前置きが長くなってしまったが、ここから本題。
世の中にはものすごくたくさんCDやレコードを買う人がいる。
一ヶ月に10枚以上は普通、20枚買ってマニアレベル、一度店に行ったら50枚くらい買う人もいる。
僕はそれをとてもうらやましいと感じる。
たくさん所有してるのがうらやましいのではなく、それだけの音楽を消化できる音楽の胃袋がうらやましい。
まだまだ聴きたい音楽はたくさんあるのに、音楽の胃袋が追いつかないと、消化不良を起こしてしまうのだ。
僕はそんなにたくさんCDを持ってるわけではない。
レコードは全部売ってしまったし、CDだって一番多いときでも1,000枚を少し超える程度で、今は確認はしてないけど、
おそらく500枚から700枚くらいだと思う。
たくさん買う人だと、所蔵量は数千枚はおろか、数万枚に達する人もいる。
ここで再び山下達郎の名前が登場するのだが、彼はマニアを超えた、変態レベルのレコード収集家らしい。
「もう一生かかっても聴ききれないくらいのレコードを買ってしまった」といい、その数は約6万枚といわれる。
内容はロックやポップスで、おそらくファンクやソウルもかなりありそうだ。
作家の村上春樹もそうとうなレコード収集家で、海外へいくと必ずその町の中古レコード屋へ行き、一日中ジャズのレコード
を物色し、大量のレコードを死ぬほど苦労して持って帰るらしい。
「世界は中古レコード屋だ」という彼も、おそらく数万枚規模だと思われる。
この数万枚という数がどれほどスゴイことなのか検証してみよう。
たとえば一日一枚、レコードないしCDを買って聴くとする。
1年で365枚、10年で3,650枚、30年で10,950枚だ。
毎日買って、30年という月日を費やして、やっと一万枚を超える。
だから数万枚ものレコード、CDを持ってる人というのは、もはや、心療内科の扉をノックしたほうがいい症状といっていい。
いや、聴くのが目的ではなく、買うのが目的、所有するのが目的なのだ、という意見もある。
山下達郎は、一生かかっても聴ききれないレコードを所有しながら、それでもレコードを買い続けるだろう。
村上春樹は、レコードの倉庫が満タンになっても、中古レコード屋に行かずにいられないだろう。
ついでに、村上春樹の場合、奥さんは骨董品のコレクターらしいので、さらに大変なことになってるに違いない。
やはり「聴く」より「買う」とか「コレクション」の愉しみのほうが強いと思われる。
山下達郎や村上春樹は、自由に使えるお金がたくさんあるので、破産することなくコレクター道を歩んでいるが、
一般人の場合、かなり無理して集めてる人も多いという。
買いたいレコードが次から次へとあらわれる、というのはわかるけどね。
世の中には素敵な音楽が有り過ぎるから。
僕の場合、ユーチューブで済ませることが出来る気質なので、予算的にも保存スペース的にもかなり助かってるけど。
目当ては浜田麻里で、ほとんど聴いたことのない僕は、とりあえずベストか最新盤、あるいは過去の代表作でも借りようと
思ったのだ。
だが、なかった。
「は行」を探しても、浜崎あゆみや浜田省吾はあっても、浜田麻里はなかったのだ。
そんななか一枚のCDに目が止まる。
山下達郎オールタイムベスト。
おお、これは以前、アマゾンでチェックしていて、買おうかな、と思ったけど山下達郎ならレンタルにあるだろう、と保留にして、
結局2年くらい忘れていたCDだ。
というわけで、山下達郎のオールタイムベストを借りて帰ったのだった。
このオールタイムベスト、ボリュームがスゴイ。
3枚組プラスボーナスディスクで、合計4枚。
収録曲は全部で55曲、お腹いっぱいすぎる内容だ。
僕は音楽の消化が悪いので、一週間たっても、まだ2枚目までしか聴けていない。
毎日これを聴いているのに、まだ3枚目に行くことが出来ないでいる。
今年初めに買ったネーナ5枚組は、全部聴くのに一ヶ月近くかかった。
だいたい一枚のアルバムを最低5回は聴かないと「聴いた」という気になれないのだ。
前置きが長くなってしまったが、ここから本題。
世の中にはものすごくたくさんCDやレコードを買う人がいる。
一ヶ月に10枚以上は普通、20枚買ってマニアレベル、一度店に行ったら50枚くらい買う人もいる。
僕はそれをとてもうらやましいと感じる。
たくさん所有してるのがうらやましいのではなく、それだけの音楽を消化できる音楽の胃袋がうらやましい。
まだまだ聴きたい音楽はたくさんあるのに、音楽の胃袋が追いつかないと、消化不良を起こしてしまうのだ。
僕はそんなにたくさんCDを持ってるわけではない。
レコードは全部売ってしまったし、CDだって一番多いときでも1,000枚を少し超える程度で、今は確認はしてないけど、
おそらく500枚から700枚くらいだと思う。
たくさん買う人だと、所蔵量は数千枚はおろか、数万枚に達する人もいる。
ここで再び山下達郎の名前が登場するのだが、彼はマニアを超えた、変態レベルのレコード収集家らしい。
「もう一生かかっても聴ききれないくらいのレコードを買ってしまった」といい、その数は約6万枚といわれる。
内容はロックやポップスで、おそらくファンクやソウルもかなりありそうだ。
作家の村上春樹もそうとうなレコード収集家で、海外へいくと必ずその町の中古レコード屋へ行き、一日中ジャズのレコード
を物色し、大量のレコードを死ぬほど苦労して持って帰るらしい。
「世界は中古レコード屋だ」という彼も、おそらく数万枚規模だと思われる。
この数万枚という数がどれほどスゴイことなのか検証してみよう。
たとえば一日一枚、レコードないしCDを買って聴くとする。
1年で365枚、10年で3,650枚、30年で10,950枚だ。
毎日買って、30年という月日を費やして、やっと一万枚を超える。
だから数万枚ものレコード、CDを持ってる人というのは、もはや、心療内科の扉をノックしたほうがいい症状といっていい。
いや、聴くのが目的ではなく、買うのが目的、所有するのが目的なのだ、という意見もある。
山下達郎は、一生かかっても聴ききれないレコードを所有しながら、それでもレコードを買い続けるだろう。
村上春樹は、レコードの倉庫が満タンになっても、中古レコード屋に行かずにいられないだろう。
ついでに、村上春樹の場合、奥さんは骨董品のコレクターらしいので、さらに大変なことになってるに違いない。
やはり「聴く」より「買う」とか「コレクション」の愉しみのほうが強いと思われる。
山下達郎や村上春樹は、自由に使えるお金がたくさんあるので、破産することなくコレクター道を歩んでいるが、
一般人の場合、かなり無理して集めてる人も多いという。
買いたいレコードが次から次へとあらわれる、というのはわかるけどね。
世の中には素敵な音楽が有り過ぎるから。
僕の場合、ユーチューブで済ませることが出来る気質なので、予算的にも保存スペース的にもかなり助かってるけど。