今更だけどカヴァーデイル・ペイジを聴いている。
もっと早く聴くべきだったんだろうけど、長い間忘れてたのだった。
この奇跡のようなユニットは当時かなり話題になり、アルバムも大ヒットしたらしいけど、短期間で終了している。
その後、ほとんど話題にも登っていない気がする。
発売から20年以上経過して、ようやくカヴァーデイル・ペイジの唯一のアルバムを聴いている。
一曲目から、まるでツェッペリンの「俺の罪」みたいな曲で、まさにジミー・ペイジここにあり、と言った感じだ。
全体的にペイジ色が濃く、カヴァーデイルもなんとなくロバート・プラント風に歌ってる気がする。
ツェッペリン解散後のペイジの活動に、何か物足りないものを感じていた人は多いだろう。
期待されたポール・ロジャースとのザ・ファームも、期待に応えていたとは言い難い。
そこで当時ノリに乗っていたホワイトスネイクのデビッド・カヴァーデイルと組むというのは、否が応でも「今度こそ!」と思わせたに違いない。
通しで何度も聴いた感想からいうと、このコラボはしっかり期待に応えてると思う。
伝説のギタリストにファンが「こうあってほしい」とか「こういうのが聴きたい」という期待そのものだと思う。
世の中には、ツェッペリン風と言われる曲は多い。
カヴァーデイル本人も、ホワイトスネイクで「スティル・オブ・ザ・ナイト」というツェッペリン風ヘヴィロックをやってる。
でも、ここで聴けるツェッペリン風ヘヴィロックは、もっと本物というか、うわべだけではない、DNA的なツェッペリンを感じさせる。
そりゃあ、ツェッペリンの頭脳ともいうべき本人が作ってるんだから、当然といえば当然なんだけど。
となると、やっぱりリズム隊、とくにドラムの軽さが気になってしまう。
仕方ないんだけどね。
ボンゾの代わりがいるのならツェッペリンは解散してないわけだし。
このコラボが短命に終わったのは、とてももったいないことだ。
ロバート・プラントから声がかかり、ペイジ はあっさりそっちへ行ってしまうのだった。
Shake My Tree - Coverdale/Page
もっと早く聴くべきだったんだろうけど、長い間忘れてたのだった。
この奇跡のようなユニットは当時かなり話題になり、アルバムも大ヒットしたらしいけど、短期間で終了している。
その後、ほとんど話題にも登っていない気がする。
発売から20年以上経過して、ようやくカヴァーデイル・ペイジの唯一のアルバムを聴いている。
一曲目から、まるでツェッペリンの「俺の罪」みたいな曲で、まさにジミー・ペイジここにあり、と言った感じだ。
全体的にペイジ色が濃く、カヴァーデイルもなんとなくロバート・プラント風に歌ってる気がする。
ツェッペリン解散後のペイジの活動に、何か物足りないものを感じていた人は多いだろう。
期待されたポール・ロジャースとのザ・ファームも、期待に応えていたとは言い難い。
そこで当時ノリに乗っていたホワイトスネイクのデビッド・カヴァーデイルと組むというのは、否が応でも「今度こそ!」と思わせたに違いない。
通しで何度も聴いた感想からいうと、このコラボはしっかり期待に応えてると思う。
伝説のギタリストにファンが「こうあってほしい」とか「こういうのが聴きたい」という期待そのものだと思う。
世の中には、ツェッペリン風と言われる曲は多い。
カヴァーデイル本人も、ホワイトスネイクで「スティル・オブ・ザ・ナイト」というツェッペリン風ヘヴィロックをやってる。
でも、ここで聴けるツェッペリン風ヘヴィロックは、もっと本物というか、うわべだけではない、DNA的なツェッペリンを感じさせる。
そりゃあ、ツェッペリンの頭脳ともいうべき本人が作ってるんだから、当然といえば当然なんだけど。
となると、やっぱりリズム隊、とくにドラムの軽さが気になってしまう。
仕方ないんだけどね。
ボンゾの代わりがいるのならツェッペリンは解散してないわけだし。
このコラボが短命に終わったのは、とてももったいないことだ。
ロバート・プラントから声がかかり、ペイジ はあっさりそっちへ行ってしまうのだった。
Shake My Tree - Coverdale/Page